歴史のマンガ・ゲーム

歴史マンガの背景解説(写真や図解)・感想+歴史ゲームなど

その他:循環的宇宙への個人的反駁(学生文芸誌への投稿記事)

京都大学のような場所にいると、「正しさ」に必要以上にこだわる人間が、身の回りに多いなあと感じてしまう。「物事を、客観的な材料に基づいて、正しく判断したい」という気持ちは、分からないではない‥‥俺も昔はそうだったから。だが、俺は今、このタイプの人間が好きではない。

 

 はっきりとわかるような正しさに基づいて行動したい、と思うのは人の性だと思うが、はっきり言ってそれは不可能である。なぜなら、どんな行動にも過ちが含まれるから。よく考えてみて欲しい。過ちの含まれない完璧な行動なんて、ない。

 確かに「正しさ」を追求することは大切だが、ある時点で人は見切りをつけなければならない。一歩前へ踏み出さなければならない。なのに完璧な「正しさ」を求め、それが達成されるまで踏みだそうとしない奴は、はっきり言って、愚かしい。

 ところで、世間の消極的な人たちの中には、自らの「消極性」を上記の「正しさ」によって「正当化」している‥‥そういう連中が多い気がする。実は単に怠惰で臆病なだけなのだが、下手に理論化されているので、外から自覚させることが難しく、性質が悪い。そしてまた、下手に世の中が豊かなものだから、下手に生きることができるものだから、これでいいんだと錯覚してしまう。

 結局こういう奴らが、自分の錯覚に気づくのは、いつのことになるのだろう? その消極性ゆえ、彼/彼女が大きな過ちを犯してしまうことは少ない。挫折に打ちひしがれることもないだろう。そして、だらだらと生きていく。はっきり言おう、こんな奴らは、死んだ方がいい。

 

 結局、人というものは、危機にさらされて初めて自分を変化させる必要性を感じるものなのだろうか? 逆に危機がなければ、人は、現状に甘んじてしまうだけなのだろうか?

 これで現状に問題がなければ、甘んじてもいい。が、音を立てて崩れ始めている現代社会を前に、甘んじている余裕はあるのか? 経済・政治・環境・差別・教育・飢餓・紛争・貧富‥‥解くあてのない問題は山積し、向かい合う者もいない。これを、どうするのだ?

 さらにまた、限られた時間の中で、何か大きなことを達成したいとは思わないのか? 自分の哲学を世界に反映させたいとは思わないのか? 自らの存在をより感じたいとは思わないのか?

 

 危機と回復を繰り返すだけの、何の進歩もない時の鎖。かつて命を賭して広められた教えは、鎖を断ち切ることはできず、今はただ個人の欲望に押しつぶされるのみ。

 過ちは繰り返す。

 なぜ? 流れとは循環なのか?

 いや、時には始まりがあり、世界は多様化し、自己組織化し続けている。

 宇宙は循環ではない!

      ‥‥と、信じたい。