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くまつう記事:くまつう誕生秘話

 ある質問が、たまに「読者の声」で見られる‥‥「くまつうのポリシーは何ですか?」。これに対し、今まで私は「寮内交流の活性化です」と答えてきた。一見これは答になっているようで、しかしこの返答を聞いた質問者は、何かしら釈然としないものを心に残すようだ。何故、「寮内交流」なのか?   それは大切なテーマであることは間違いないのだが、多大な編集作業をしてまで目指すようなことなのか? その仕事の膨大さの割には、大した成果は望めないのではないか?

 本文章の目的は、上記の質問に答えることである。「くまつう」は何となく湧いたように始まったものではなく、その活動の土台には一つの完結した哲学があった。それは、半分は経験に基づき、もう半分は理論に基づいている。この哲学を、最後である今、語ろう。

経験に基づいた哲学

 まず、経験的な哲学の方から述べていこう。これは基本的に、昔話をすることになる‥‥過去に私が経験した物事から、いかなる哲学が生まれ、「くまつう」へと繋がっていったのか?

私が入寮した頃のAI

 五年前の一九九四年に、私は熊野寮に入寮した。最初入ったブロックはAIであり、今住んでいるブロック(C棟)とは異なる。当時のAIは今とは違い、全寮で最も「仕事をする」ブロックであった。寮自治を真剣に考え、かつ行動力のある先輩が多数おり、入寮したての私はよく飲み会の席で、寮自治の仕組みやその意義について、とうとうと聞かされたものである。何故このような仕事があるのか、何故このような組織になっているのか、何故食堂を防衛しなければならないのか、何故「自治」寮であることが重要なのか、何故「反戦・反差別・反権力」を掲げているのか、社会問題の具体的な事例と解説、学生運動の意義と問題について、等々‥‥そう、その頃のAIには、プライドがあった。それは「AIが全寮を支えているのだ」という責任感である。

 当時の私はいい加減な人間だったので、よく先輩に怒られた。仕事をサボったり、飲み会を避けたりすると、必ずクドクドと説教をされたものだ。そんな先輩たちが私は嫌で、一年目の後半は、そういった人たちから距離を置いて生活するようになった。

 クドクドとした説教もいやだったが、もう一つ私にとって嫌なものがあった。それは先輩たちの、「仕事をしない」人たちに対する攻撃的な態度だった。まるで「彼らは無価値だ」と言わんばかりのその口調は、例えば「本当にどうしようもない奴ら」「表面上は大学生だが、中身は幼稚園児」といった言い方に現れていた。

 ここで断っておくと、彼らの言っている内容に反感を覚えたのではない。私も、仕事をしない寮生は共同生活のいろはも知らない幼稚園児レベルの人間だと思っていたし、その思いは基本的に今でも変わらない(事情がある場合もある)。率直に言って、奴らは害虫と同等の連中だと思っている。

 私が反感を覚えたのは、先輩の言う内容ではなくて、その態度だった。確かに仕事をしない寮生はどうしようもないが、だからといって彼らを「どうしようもない」「幼稚園児なみ」と非難し、それ以上は何もしようとしない先輩たちの姿勢は、私には、問題を改善しようとする努力のない単なる自己満足のように見えた。再び極端な言い方をすれば、吠え続けているだけの犬のように、私には見えたのである。

 問題がそこにあり、それに対し問題意識を感じるならば、それを改善(できれば解決)しようと試みなければならない。その試みの一環で問題者を非難することは、確かに必要である。だが、それと同時に、そのような人たちを生み出している構造に目をこらし、できることならば問題を改善するように、その構造に対し手を入れねばならないし、こちらの方が重要であろう。ここでいう「構造」とは、「仕事をしない」寮生を例に取ると、会議の閉鎖性であり寮全体の学生運動臭さである。もちろん問題者の正当性は認めがたいのだが、いったんその存在を認め、その上で知恵を絞って是正処置を打ち出すべきなのではないか‥‥そう考える私にとって、非難するだけのAIの先輩たちは、問題をいかに改善するかという困難な課題に取り組むことを避け、ただ非難するのみという自己満足に走っているように見えたのである。

 

仕事をしない寮生を生み出す構造

 では、「仕事をしない」寮生を生み出す「構造」とは、どのようなものなのか? それは二つあると、私は考える。一つは排外的な雰囲気、もう一つは寮自体の「うさん臭さ」である。

 まず、雰囲気。寮内の「仕事をする」寮生の間には、共通点があるというか、ある雰囲気を共有している。それはよく言えば責任意識に基づいた結束の雰囲気、悪く言えば既にある集団になじまない人を排除する「仲良しグループ」的な雰囲気である。これが部外者を退け、「仕事をしない」寮生を生み出しているように思う。

 もう一つの「うさん臭さ」であるが、これは寮の学生運動から来ている。そのゴリゴリとした結論が先行する主張を浴びせられた新入寮生が、「関わり合わない方が良さそうだ」と考えてしまうのも無理はないだろう。それでも寮生として自治運営のための事務的な仕事はすべきなのだが、それすら嫌悪の対象としてしまう傾向がある。これが新入寮生を「仕事をしない」寮生へと導いているように思う。私もそうだった。私は、実感をもって上記のような事柄を主張するのだ。

 「仕事をしない」寮生を生み出す「構造」には二つの要素がある。ではこれを踏まえるとき、我々のとりうる対処策はどのようなものだろうか?

 私の意見は、交流の促進とゴリゴリの排除である。近寄りがたい専門部会議でも気心の知れた知り合いがいることで、ぐっとその敷居は低くなるだろうし、ゴリゴリとした運動の勧誘を抑えることで、寮に対する過剰な警戒心を持たれないようにすることができるだろう。つまり、交流の促進によって排外的な雰囲気を壊し、ゴリゴリの排除によって寮の「うさん臭さ」をなくすのである。これが私の改善案だった。そしてこの改善案の特に前半を具体化したものが、「くまつう」の発行であったのである。

 実は今まで述べたような事柄は「くまつう」の土台となる哲学の一端に過ぎないのだが、残る部分については後述する。とにかく、私は「寮内の交流を促進させよう、それが寮自治の改善につながる」と考えた。その具体像が「くまつう」だったのである。だが、本当のことを言うと、標的は寮内にとどまらず、より広い世界に対し向けられていた。この辺の話は語るのがなかなか恥ずかしいのだが、最後なので恥を承知で洗いざらい吐いてしまおうと思う。

学生運動という側面から

 さて、今までは「仕事」という側面から交流促進の必要性について述べてきたが、今度は「学生運動」という側面から交流促進の必要性について述べようと思う。その主張は、自分にない何らかの価値観を他人から受け入れる際には、その人とのあいだに強い信頼関係がなければならない、というものである。

再び昔話に戻ろう。一回生の頃の私は、とにかく委員会のレジュメが嫌いだった。その頃は今よりも言葉使いが偏っており、例えば「日本」は全て「日帝」と書かれていた。初めてこの「日帝」という表現を見たとき、私は「何だこりゃ?」と、首をかしげたものである。ちなみに他にもを挙げると、「今まさに、すさまじい卑劣な攻撃が」「一ミリの妥協も許さない」「熊野寮はアジア三十億の砦」‥‥よく考えつくものだ。その内容を見た私は、正直言って「これは俺を洗脳しようとしている扇動的な文章だ。読むだけでも少しずつ影響を受けてしまうだろう。だから、なるべく読まないようにしよう」と思った。これは現在のレジュメについても言えることで、というのは今の一回生に話を聞いても同じ様なこと(「引いてしまう」「頭ごなし」)を言っているからである。とにかく私は、委員会のレジュメに感銘を受けることは全くなく、逆にそういったものとの関わり合いを極力避けるようにしたのだった。

だが、現在の私は、寮の「反戦・反差別」は大切なテーマであると思っている(「反権力」の部分については多少の議論の余地があるとしても)。なぜなら、かつての戦争の有様は、多少の議論の余地があるにしても、基本的に伝えていかなければならないことであるし(反戦)、社会的な弱者がその弱い立場ゆえに筋の通らない負担を課せられるような状況は、少しずつでも改善していった方が良いだろう(反差別)。私は、これらの問題意識はとても大切だと思うし、これらの問題に気づかせてくれた熊野寮に対しては、率直にありがたいと思う。かつて一切の関わり合いを避けた私が、なぜ上記のような考えを持つに至ったのか。それは一言で言えば、信頼できる先輩の影響であった。

とある先輩の影響

その先輩は私の一つ上の回生で、とてもユーモラスな先輩である(今年度末に退寮の予定)。彼は一回生からかなり学生運動をやっていた「バリバリの」人だったのだが、日常生活においてはほとんど運動関連の話題を出さず、むしろくだらない冗談で周囲を疲れさせて‥‥もとい、楽しませていた。つまり、普段接する場ではほとんど運動の話を出さない人だったのである。だがその陰では、学生運動に熱心に取り組み、また介護責任者として、介護活動にも多大なエネルギーを注いでいた。他の運動家のように、部屋までやってきてクドクドとつまらん話を浴びせかけることもなく、ベタベタと集会の勧誘をすることもなかった。AIの中では独り、学生運動に対しては黙々と、しかし表面上は明るく、振る舞っていたのである。

私は、思い切って彼に尋ねることにした。それは、それまでためてきた様々な学生運動に対する疑問だった。ブロック会議で毎回ひどい内容のレジュメが配られるが、あれは何か?   アメリカや日本政府のことを批判しているが、彼らにも事情があるのではないか? 例えば委員会は北朝鮮の肩を持っているが(当時は北朝鮮の核保有疑惑の最中だった)、悪いのはむしろ北朝鮮の方なのではないか?

彼は丁寧に、私の質問に答えてくれた。その返答も、従来の委員会の一方的な主張とは異なり、私の主張を受けとめ、問題当事者(日本政府、アメリカ、北朝鮮、等々‥‥)の事情も把握した上での、丁寧な返答だった。この返答に、私は強く感銘を受けた。それまでは、学生運動をやっている人は寮生を強引に運動に引きずり込もうとばかり考えているものだと思っていたが、そうではなく、むしろ独りで運動に取り組んでいる人もいるのである。これは私にとって、大きな衝撃だった。そして、少し学生運動と絡むような社会問題についても考えてみようかなと、思ったのである。これが、私が問題意識を持つことになるきっかけだった。

過去からひるがえって、現在を見よう。学生運動と絡む、社会に対する問題意識を持つきっかけになりそうな場が、今の寮内において、果たしてあるだろうか?

個人的な付き合いの場には、きっかけはあるかもしれない。だがその一方で、ブロック会議の場などで、その内容の厚かましさに反吐が出そうになるレジュメを読まされ、露骨に怪しい集会にしつこく勧誘され、プライベートの貴重な時間は奪われるだけ。このようなやり方では、大切な問題意識を持つきっかけとなるどころか、逆に遠ざけてしまっていると言わざるを得ない。特に問題なのは、新歓オリエンテーションである。まだ寮に入り立ての新入寮生に対し、何時間もあくびが出るような話を聞かせ、出自のわからないビデオを見せ、それで「よし、今年も頑張ったぞ」とする委員会の神経は、率直に言って信じがたいものがある。

もしかすると委員会のメンバーはこの文章を見て、反論してくるかもしれない。「いや、現実問題の大きさからすると、ある程度のゴリゴリは必要だ。それに、委員会としても聞き手が引いてしまわないように、配慮するようにしている」。‥‥彼らは少しでも、実際の寮生の声を聞いているのだろうか?   少しでも話してみれば、ほとんどの寮生がゴリゴリのために引いてしまっていることが、わかるはずである。そもそも、委員会のメンバー(特に書記局員)は、他の寮生との関係が少ない。普段の信頼関係もないところで、なにを声高に叫ぼうとも、周囲は「なんだか危なそう」と、避けてしまうだけだ。空回りしているのである。とにかく、どんなもっともらしい理由があろうとも、現実に新入生のほとんどを運動から遠ざけているのは、他ならぬ委員会なのである。

しかし委員会の体質は、なかなか変わらない。特にひどいのは運動関係を担当する書記局だが、それを許している委員会の他のメンバーも同罪である。この構図は数年来まったく変わっていない。

問題意識のための交流促進

大切なのは、まず問題意識を持つことである。運動を含む、社会に対するすべての行動は、基本的に問題意識がないと始まらない。逆に言えば、問題意識を持つことができれば、それに続く行動に移るのは、時間の問題だろう。それは学生運動と関係なくてもいい。経済・政治・環境・教育・飢餓・紛争・貧富‥‥テーマは残念なことに、いくらでもある。これらの諸問題がふくれ上がり、社会が破綻してしまう前に、我々は動かなければならない。大切なのは、まず問題意識を持つこと‥‥この一点につきるのだ。

では、問題意識を持つきっかけとは何か。私には一つしか思いつかない。それは、既に問題意識を持っていて、かつ日常的に信頼できる、友人である。実際、私の場合がそうだった。私の考えでは、問題意識は、人をつたって徐々に伝播していくものではないかと思う。ある人が問題意識を持っていて、それがその人の周囲に伝わり、さらに間接的に他の人へ広がっていく‥‥だが、どんな人間関係の上でも伝わっていけるわけではない。問題意識が伝わることのできる人間関係と、そうでない人間関係とがある。信頼関係こそが、問題意識が伝わることのできる人間関係である。

二回生の時このように考えた私は、次にこの考えを実行に移そうと思った。それが、「くまつう」である。信頼関係は人間関係の成熟した姿と考え、まずズタズタに切れてしまっている寮内の人間関係をつなげることから、始めようと思ったのだ。これは言い換えると、「まず寮内の人間関係を作ろう。そうしたら、その人間関係の内いくつかは信頼関係にまで発展するだろう。そうしたら、その信頼関係の上を問題意識が伝播し始めるのではないか」と、いうことであった。

神戸の経験

以上が、「くまつう」を支える経験的哲学である。それは二つあって、一つは交流促進による排外的雰囲気の打破 → 自治参加の促進、もう一つは交流促進による信頼関係の成立 → 問題意識の伝播である。言い換えると、寮内の大きな問題である「排外的雰囲気」と「ゴリゴリのうさん臭さ」を、その根底から打開すべく、「くまつう」は打ち出されたのである。

と言っても、三年間続いてきて、その成果をきちんと出せたかというと、それはわからない。実際にどれくらいの人が「くまつう」を読んでくれて、何か感じてくれたかどうかが、わからないからだ。そういう意味では、もしかしたら「くまつう」も単なる自己満足に終わったのかもしれない。だが、これは言い訳かもしれないが、少なくともスタッフ同士の交流はあった。編集部に加わってきた人たちが、お互いに仕事以外の面でも話すようになり、やがては友人としての関係を築いていったのではないかと思う。

ここまでに述べた二つの経験的哲学に加えて、「くまつう」を始める上で重要な意義を果たしたのが、一九九五年の阪神大震災におけるボランティア活動だった。これは直接寮と関わるわけではないので簡単に触れるにとどめたい。

私が神戸にボランティアとして滞在していたのは、九五年の二月上旬から六月下旬までの五ヶ月間である。前半は公園のボランティアテント村で外回り隊の隊長として過ごし、後半は避難所となっている小学校で被災者の方々と会話していた。その間に本当にいろいろなことがあったのだが、とにかく私の感じたものは、被災地を覆う想像を絶する悲しみと、それまで学歴エリートコースを歩いてきた自分に対しての、救いがたい無力感だった。しばらく落ち込んだ後に回復した私が、その間にどのようなことを考えていたのか覚えていないが、とにかく以下の二つのことが重要だと強く思うようになった。それは、人の気持ちを想像することの大切さと、論理や理屈の無力さである。これらも、原稿の推敲作業やくまつう編集部の組織作り、トラブル処理などに役立ったように思う。

理論に基づいた哲学

ここからは、「くまつう」の下敷きとなった理論的哲学について簡単に説明したい。それは二つあり、両方とも理学から来ている。一つは「複雑系」であり、もう一つは「利己的遺伝子」である。

初期値依存性

近年「複雑系」が注目を浴びているようだが、私が大学に入ったときに考えていたのが、「複雑系を勉強しよう」ということだった。それは、自分の中にある一つの仮説を検証したかったからである。では、その仮説とは何か?

それは、社会における「初期値依存性」の問題である。なんだか難しそうに聞こえるが、そんなことはない。その後の挙動が「初期値」にどれくらい「依存」するか、それが「初期値依存性」である。つまり、始まるときの小さな違いが、後々大局を変えるような大きな差に拡大するか、それとも所詮は小さな違いということで波に飲まれて消えてしまうか、ということである。これを社会に絡めて言い換えると、我々一人一人の小さな努力が、社会を変えうるのか、それとも無駄なのか、ということである。

例えば自然現象で言えば、「香港の蝶がニューヨークに嵐を起こす」という話がある。香港ではためいた蝶の起こす風が、ニューヨークに嵐を巻き起こすというのだ。これはあくまでたとえ話だが、実際に気象のような複雑に絡み合う自然現象においては、可能性は小さいのだが、わずかな変化が系全体の様相を一変させてしまうことがある。逆に、池に投げ込んだ小石が、短いあいだ波紋を水面に広げただけで消えてしまうように、わずかな変化はわずかなものとして消えてしまう場合もある。

近代科学の中には、前者のような「香港の蝶がニューヨークに嵐を起こす」という認識はなかった。つまり、すべては池に投げ込んだ小石のように、わずかな違いは「誤差」として無視してきたのだ。だが、今世紀後半に「小さな変化が大局を変えてしまうことがある」という自然現象が発見され、科学の自然認識を大きく変えることとなった。言い方を換えれば、それまで人間は自然を大まかにであれば予言できる(誤差は無視できる)と傲慢にも考えていたのだが、どうしても予言できない場合もある(これが結構ある)ということが明らかになってきたのである。これがいわゆる「複雑系」の概念(の一端)である。

では、社会における我々一人一人は、香港の蝶なのか、それとも池に投げ込まれた小石なのか? これが問題である。もし我々が「蝶」ならば、社会に対し問題意識を持って行動することは、たとえその効果が現れる可能性が限りなく小さいとしても、意味のある行動と言えるだろう。だが逆に我々が「小石」ならば、行動することは無駄であろう。この問題が、前の経験的哲学の二つ目で述べた「問題意識を持つこと」と繋がっている。そこで私は「問題意識から行動が始まる」と述べたが、もし行動が結果に結びつかない無意味なものであるならば、やる意味はないと言っていいだろう。つまり、「行動することに意味があるのか?」は、先ほど経験的哲学のところで述べた「問題意識を持つこと」の前提になるのである。

残念ながら、「意味があるのか否か」の答は、未だわからない。システムとしての社会が、気象のような絡み合うシステムなのか、それとも池の水面のような線形システムなのか、はっきりしたことは言えない。だが私は、社会は前者のような気がしている。これはあくまで直感であるし、社会現象にも色々あるだろう。が、やはり人間社会は、簡単に式でとらえることのできない、複雑に絡み合ったものだと思う。もしそうなら、一人の行動が結果に結びつく可能性は限りなく小さいだろうし、望んだ結果に結びつく保証もどこにもないのだが、それでも何か行動することは、全く無駄だとは言えないだろう。私は、問題意識を持ち、そして行動に移すことは、意味を持つと思う。だからこそ私は、「くまつう」を創ったのだ。

利己戦略の結果としての利他的本能

ここまでが、「くまつう」を支える理論的哲学の、二つの内の一つである。もう一つは、今度は生物学に関するものである。生物学と言ってもマクロからミクロまで範囲は広いのだが、私が言及するのは「遺伝進化論」という、遺伝子の淘汰で生物の進化を説明しようとする分野である。

これがなぜ「くまつう」と関係してくるかというと、「なぜ他人のためにエネルギーを割くの?」という疑問に答えるものだからである。遺伝進化論は、生物の利他的行動を根拠付け、説明する。この根拠付けがないと、自分の利他的行動を正当化する理由がないし、逆に、ついつい利己的に生きることが全てだと勘違いしてしまう。いわゆる個人主義というのも、この一端と見てよいだろう。

ところで皆さんは、自分の素直な感情を、知りたくなることはないだろうか? 何か身の上に問題が起こると、いろいろ考えをめぐらせてしまって、何をしたらいいのかわからない。いろいろ選択肢は考えつくのだが、自分が本当に望んでいることがわからない。自分の素直な感情が知りたい。こう、思ったことはないだろうか。

例えば、あなたには想いを寄せている、好きな人がいるとしよう。あなたはどうするか。きっかけを待つか、撃って出るか、それとも友達で済ますか、はてまた離れたところから見ているか?

ここで問題となるのが、自分の感情(好意)の内容である。どうして自分は、その人を想うようになったのか? その人のどこに惹かれたのか? その人はどんなことに興味があるのか?   その人と自分の相性はどうなのか? 相手から見て自分は魅力的な人間だろうか? 何時間でも一緒に過ごしたいのか? それとも、そこまで自信はなく、友達でいいのか?   自信はなくとも、想いが強ければ、やはり勝負に出るべきか? いや、この想いは本物か? 等々‥‥そして、最後に行き着く幾つかの終着駅の一つは、「人はなぜ恋をするのだろう?」「それは、生き物の本能だからだ」であると私は思う(そうでない人も多いかもしれない)。

とにかく、自分の素直な感情を知ることは難しい。そこには様々な自分の利害や過去の経験が絡んでくるし、それ以前に生物としての本能が影響してくる。では、この「本能」とは何か。いったい何によって決まるのか。俺は本能を重要視した方がいいのか、それともなるべく殺した方がいいのか?

この問いに対する答を、残念ながら私は知らない。多分どちらに偏りすぎても良くないのだろうが、より微妙な話になると、人によって違うだろう。だが、それよりも、私がここで言いたかったことは本能の是非ではなく、本能の影響力の大きさである。いろいろな事柄で探ってみると、すべての行動に本能が影響しているように思われる。本能の影響を無視することはできないだろう。では、本能の影響とは、どのようなものなのか?   本能は利己的なのだろうか? この問に一定の答を与えるのが、遺伝進化論である。

例えば人は赤い色を見ると、そこに注目する。遺伝進化論では、これは、血の色が赤いから、ケガなどに気づきやすいように、本能が赤い色に注目するようになっていると説明される。つまり、注目することは生き残り戦略の一端だと説明するのである。もう一つ例を挙げよう。例えば人は硫黄を含むような化学分子を鼻で感知すると、刺激臭と感じる。これは、腐敗物が硫黄を含むから、腐ったものを食べてしまわないように、本能が硫黄原子に対し刺激臭を感じるようになっていると説明される。つまり、刺激臭を感じることは、生き残り戦略の一端だと説明するのである。この論法を使えば、異性に魅力を感じることも、繁殖の促進による生き残り戦略の一端だと解釈できる。まとめると、赤色に注目したり刺激臭を感じたり異性に惹かれることは、本能的な感情であり、それは生物淘汰の中で生き残るためにヒトが獲得した環境適応戦略であると、遺伝進化論は説明するのだ(念のため言っておくと、私は、好きな人の目の前で「この感情は遺伝進化論的にこう解釈できて‥‥」などと考えることは、まずない)。

では、本能は利己的なのだろうか? それとも、利他的なのだろうか? 遺伝進化論の導く答は、どちらでもない──その答とは、「遺伝子は基本的に利己的にふるまう。だが、利己的であるが故に、利他的にふるまうこともある」というものだ。実はこの主張は、非常にわかりやすい。我々の日常生活を想像して欲しいのだが、「極端に利己的だと、周囲に悪感情をもたれ、かえって損をする。極端に利他的だと、周囲の利己的な人に食いつぶされ、かえって損をする」。これと同じ論理が、遺伝子について成り立つのである。

生命がこの星の上に誕生してから四十億年がたつ。その間に、様々な遺伝子が生まれては、消えていったことだろう。極端に利己的な遺伝子もあっただろうし、極端に利他的な遺伝子もあっただろう。だがこいつらは、四十億年という長い年月を生き抜くことはできなかった。なぜなら、生存戦略が偏った貧弱なものだったからだ。逆にこの競争を生き残ったのは、優秀なバランスを備えた遺伝子である。適度に利己的で、自分が特をすることを求め、その一方で適度に利他的で、自分の子孫や種の存続を助ける‥‥このような遺伝子を、実は、我々一人一人が持っている。我々人間だけでなく、すべての動物、虫、植物、微生物までもが、四十億年という長い年月を生き延びた、極めて優秀な遺伝子を備えているのである。

我々の本能は、利己的か? それとも、利他的か? 答は、バランスである。もちろん個人によってバラツキはある(これも生存戦略の一つ)が、基本的には、利己と利他の両者がブレンドされて、我々の本能を形成している。

だからこそ、この節のはじめに述べたことであるが、他人のためにエネルギーを割きたいと思うことは、自然なことだと言えるだろう。なぜなら、我々は本能の中に利他的要素を持っているのだから。利他的に行動しようとすることは、恥ずかしいことではないし、おかしなことでもない。たとえ偽善であっても、自己満足であっても、いいと思う。それはあとから気づけばいいことだ。

問題は、利他的な行動を自分の中で、ほとんど完全に否定している人たちである。「恥ずかしい、おかしい、偽善だ、自己満足だ。そんなもの、やってられるか」。そう考えることは、自分の行動を利己的なものだけに限ってしまい、本能から来る利他的行動の欲求を理屈で否定することになってしまう。

話が長くなってしまったようだ。とにかく、遺伝進化論が「くまつう」を支える二つの理論的哲学の内の一つだったことを述べた。これら二つの哲学に基づいて、「くまつう」は始まったのである。号を重ねるうちに考えが揺らぐこともあったし、そもそも「自分の行動を、こんなに堅い哲学に基づかせる必要があるのか?」という疑念もあった。しかし、続けていく上で「プレッシャーに負けたくない」という気持ちは、大きかったと思う。しかしまあ、いいかげん退屈な文章はやめて、最後の節に取りかかろう。

くまつうの編集方針

ここでは、これまで述べてきた「くまつう」の哲学に基づいた、その編集方針について、簡単に述べる。また、「くまつう」を支えてくれたスタッフ達についても、最後に言及したい。

あらかじめ断っておくと、これから述べる編集方針は、実行不可能なものである。だからこそ、「くまつう」は三年という短い期間で、その活動を終えることとなったのだ。

結論から先に言うと、「くまつう」の編集方針は厳しすぎた。特にそれは文字数指定と組み上げの厳しさ、執筆依頼体制の堅さ、発行間隔の短さなどに現れているが、何より厳しすぎたのは、自己満足をみじんも許さない、完璧さを追求し続けるという、はっきり言って非現実的な哲学だった。これに耐えられなくなった瞬間、「くまつう」は破綻したのである。

今さら責めるつもりなど毛頭ないが、私の跡を継いだ二人の編集長は、もっと手を抜くべきだったと思う。過去の記事の使い回しや、編集方針を軟化させることにより、自分の忙しさ(二人とも非常に忙しい人だった)と両立することのできる編集体制を作るべきだった。

だが、二人とも本当によく頑張ったと思う。私は彼らに、心より感謝の意を述べたいし、辛い仕事を押しつけてしまったことに対しては、謝罪の意を示したい。そしてまた、もしも今後何らかの新しい雑誌発行の動きがある際には、このことを頭の片隅にでも、置いておいてもらいたい。

記事の軽さ

その「軽さ」が、よく指摘される。くまつうは軽い。もっと重い記事や、趣味に走った記事を載せるべきだ、という指摘である。今、この号を念頭に置きつつ過去を思い返してみると、確かにその通りだなと、思わざるを得ない。あまり緩くすると、今度は「何のためにやっているの?」ということになってしまうが、一人でも多くの寮生に読んでもらいたいと思うあまり、記事の内容を限定しすぎた気がする。

「一人でも多くの寮生に読んでもらいたい」と思ったのには、理由がある。それは、一見おかしな事だが、寮生と寮との接点の問題である。

寮に住んでいながら、寮とまったく関わりを持たない寮生が、相当数いるようだ。ブロック会議や部会はもちろん、食器洗いや事務室当番さえやらない。寮には寝に帰るだけで、時には寮外に部屋を借り、寮には車を停めるだけの人もいる。彼らの生活の中で、寮の占める割合は、極めて小さい。そんな人たちが、大勢いる。

それで他人に迷惑をかけなければ、別にどこで何をしようといいのだが、実際にはいろいろな人に迷惑をかけている。仕事をしない分、他の人にしわ寄せがくるし、会議には出ないくせに、自分に被害が及びそうになると反対意見をわめきだす。寮内の注意事項は何も知らないし、知らないが故の後始末を他の寮生がする羽目になることもある。維持費を払わない人も多い。とにかく、ひどい連中である。

だが、だからと言って彼らを罵倒すればすむ問題かというと、そうもいかない。これは、経験的哲学の前半で述べたものである。そこで、寮と接点を持たない寮生達が少しでも寮に対し興味を持って欲しいと思い、内容を軽いものにした。重い記事と軽い記事のバランスをとり、一部の人にしか受けないような趣味に走った記事は載せないようにした。特に気を使ったのが、政治運動に関する記事である。これは極力避けた。なぜなら、寮と接点を持たないような寮生は、政治運動に関するような記事を見ると、その瞬間にひいてしまうのではないかと考えたからだ。

結果として、皆さんが見てきたような、全体的に「軽い」誌面ができあがった。これは表面的には良かったかもしれないが、内面的つまり編集部内部では、途方もない負担を背負い込むこととなった。その目的を失わないためには、ある程度の負担は避けられないのだが、「くまつう」の負担は完全に許容量を超えていたと思う。

例えば今回、テーマ・字数を自由にして原稿募集したのだが、これは従来に比べて、かなりラクだった。原稿を文字数制限内に押し込むという、かなりの労力を要する仕事もなく、組み上げも文章の雛形を作ってそこへ文章を流し込んだだけなので、今までのように記事ごとに組み上げるよりもだいぶ省力化することができた。最後にこんな事を言うのも何だが、最初からこの方式でやっていればもう少し続いたのではないかと思ってしまう。しかし、今回が最後である。念のため。

「くまつう」を支えてくれた人々

 最後に、これまで「くまつう」(特に初年度)を支えてくれたスタッフを紹介して、この文章を終わりたいと思う。もし抜け落ちている人がいたら大変申し訳ないのだが、どうかご容赦いただきたい。それでは、「くまつう」の構想期から、順を追って紹介していくことにしよう。

 Oggyさんは、くまつうの構想期からアイデアを出したり、いろいろと精神面でサポートしてくれたりしました。大変貴重なことに、記事に対するこだわりは非常に強く、良質の文章を書いていただいたり、他の人の文章を見てもらったりしました。同じ時期に彼は文化部も引っ張っており、そのエネルギーと明るさは、誰もが尊敬の念を持たずに入られないものだったと思います。現在は寮を出て、下宿で学問にはげんでいます。

 太雪さんも、企画構想期から手伝っていただいた先輩です。「太雪」と銘打たれたその独特な文章は、その面白さから広く支持を得ていました。「くまつう」を始めた最初の数ヶ月は「くまつう」に対するバッシングもきつかったのですが、めげそうになる私を常に支えてくれた人でした。現在はJR九州に勤め、博多駅で切符切りをしたりしているそうです。

 しんちゃんも、企画構想期から手伝ってくれました。彼のなした偉業はなんといっても、「Mさん24時」でしょう。この、Mさんの二四時間を追うという非常にシンプルなコンセプトの記事は、しかし寮生全員の共通項ということで、絶賛を博しました。彼はこの他にも、太雪さんに似た独特の面白い記事をいくつも書いてくれました。彼は現在も寮生です。

 SSKは、五月に放送で招集した編集会議に、ただ一人やってきた男です。彼も、よもや後に編集長を引き受けてしまって大変な重荷を背負わされる羽目になろうとは、その時は思わなかったことでしょう。彼もOGGYさんと並んで、非常に貴重な人材でした。というのは、文章に対する強いこだわりを持ち、それを言葉に表現する能力を持っていたからです。また、彼が編集長時代に敢行した一連の「突撃取材」は、私には真似のできない方向性で、記事の幅を広げてくれました。

 ASHRは、六月から「くまつう」の組み上げを一手に引き受けてくれた、大変貴重(本人にとっては大災難でしたでしょうが)な人材でした。今でこそパソコン上で誌面を組み上げるのもラクになりましたが、当時はまだ環境が充実していなくて、彼には大変な苦労を背負ってもらうことになってしまいました。彼は記事も二回書いたのですが、どうも運がないのか、二回ともボツになってしまいました。結構いい記事だったんですが‥‥それにしても彼の独特なノリは、私にとっては新鮮すぎて驚かされることも多かったのですが、周囲を楽しませてくれるものでした。

 SBTも、六月から編集部に加わった人間ですが、その存在は意外に知られていません。BⅠに住んでいた彼は、実は初年度の「くまつう」の挿絵のほとんどを書いてくれた人です。後半になると様々なタッチを使い分け、誌面をより豊かなものにしてくれました。現在は静岡県の静岡ガス(だったと思う)で働いています。誰か彼の連絡先、知りません?

 桃の書いてくれた「今月の食卓」は、平凡なテーマなのに毎回味のあるレシピ(代表作、コンビニおにぎり雑炊)で、多くの読者を楽しませてくれました。割と細かいところでいろいろ助けてくれたように思います。現在は寮を出て下宿暮らしです。

 KNMRは、初年度は執筆面で、二年目以降は組み上げ面で、「くまつう」を支えてくれました。少々気になる表紙を出して話題を呼んだこともありましたが、彼の組み上げは間違いなく、くまつう史上最高の組み上げだったと言っていいでしょう。特に題字へのこだわりは尋常でなく、「なんで?」と言いたくなるような凄まじいばかりの作り込みようでした。彼は現在も寮生です。

 みっしーは組み上げも手伝ってくれましたが、なんと言っても印象が強いのは、その表紙です。洗練されたセンスの感じられる彼の表紙は、表紙の絵に自在に対応する内部的にも素晴らしいものでした。また、二代目編集長の時代には、編集長を精神的にも支えたというような話も聞いています。彼は現在も寮生です。

 KNDが手伝ってくれたのは、仕上げと印刷・製本です。その仕事の丁寧さは、非常に安心して仕事を任せられるものでした。また、組み上げの仕事の大変さを身代わりになって訴えてくれた人でもあります。彼は現在も寮生です。

 MEDは印刷を手伝ってくれました。彼は仕事を頼むといつも「いやですよぉー」というのですが、そのわりに毎回きちっと仕事をしてくれる、好青年(!)です。

 OKDは挿絵と表紙を書いてくれました。漫画的な絵も描けば写実的な絵も描けるという、そのバリエーションには驚かされます。特に初年度末から二年目前半にかけて、素晴らしい表紙を書き続けました。そうそう、彼女は文章もけっこう書いています。毎回なかなか味があり、特に「牛」に関する記事は、まだ記憶に残っている読者の方もおられるのではないでしょうか。

FKMTは、「くまつう」とは関係ないのですが、九七年度の熊野寮祭で「帰ってきた折田先生」という企画で、肩から上をすべて緑色に塗りたくられた男です。彼の行動力には目を見張るものがあり、なかなか頼もしいのですが、今年はサークルの副会長を務めている関係上、去年のように寮で爆発することはできなかったようです。彼は同期や下回生の人材不足のため、仕事のほとんどを一人で背負い込むことになってしまいました。それでも九月号まで出しているのですから、本当に大したものです。

この他にも、本当にたくさんの人たちに支えてもらいました。ちょっとしたことでも、とても嬉しかったです。そして何より、読者のみなさま方、読んでくれて本当にありがとうございました。