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島主日誌その2

右の方の数字は、おまけと思ってください。

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  出来事など 財政分析 農業収益 鉱業収益 林業収益 工業収益 観光と娯楽 海外から

style='display:none'>の援助合計

諸経費 経常利益 特別経費 国庫 生産施設の建設完了 福祉施設の建設完了 その他施設の建設完了
1950年     -875 0 0 0 0 2100 -1370 -145 -11500 -1644 (農場×4)    
1951年     -1120 -320 0 0 0 2500 -1595 -535 -1500 -3679 採掘所×2    
1952年     2240 7055 0 0 0 2200 -1600 9895 -4000 2215 採掘所    
1953年   ●採掘所の収益が順調に入ってきはじめた。 2469 6740 0 0 0 2200 -1595 9814 700 12729      
1954年   鉱業収入が0に。 880 -1260 0 0 0 2450 -1650 420 -13500 -350     建設事務所
1955年 10月、選挙判断。33対24の優勢なので、やることに。対抗馬は、農夫で宗教的派閥リーダーのマルガリータ ●諸経費が増加したのは、建設事務所と診療所の人件費である。 8898 11177 0 0 0 1600 -2105 19570 -4500 14719   診療所  
1956年 10月、選挙は公正に行い、無難に勝利 ●海外からの援助合計が増加したのは、ソ連からの援助が増加したため。アパートを建てたことが共産主義者の支持を得たのだろうか。

●諸経費が増加したのは、診療所の人件費が増加したため(医師2人)。

-1110 6755 0 0 0 2300 -2884 4999 -15100 4618   アパート、レストラン、教会  
1957年   ●農業収益が減少したのは、生産量が減り(9→5)、消費量が増えたため(3→4)。消費量が増えたのは、人口が増えたためだろう。

鉱業収益が減少したのは、生産量が減ったため(3→1)。

●農業、鉱業共に生産量が減っているのが心配。新しい住宅によって通勤距離が増えたからなのか、生産環境(降雨など)が変化したからなのか・・

●海外からの援助合計が増加したのは、ソ連からの援助が増加したため。マンションの効果だろうか。

885 3339 0 0 4 2900 -3040 4087 -2700 6005   マンション  
1958年   ●農業収益が増加したのは、生産量が増えたため(5→6)。

鉱業収益が増加したのも、生産量が増えたため(1→2)。

●海外からの援助合計が減少したのは、アメリカ・ソ連共に減ったため。原因はよくわからない。

2144 6470 0 0 -61 2350 -3040 7863 -6900 6968      
1959年 人口が100人を突破 ●農業収益は減少しているが、生産量は増えているため(6→9)、心配しなくていいだろう。

鉱業収益が減少したのは、生産量が減ったためで(2→0)、原因はよくわからない。心配だ。

-1095 1024 0 0 -76 2300 -3342 -1189 -2200 3579   アパート  
1960年   ●農業生産量は減少(9→3)、鉱業生産量は増加(0→1)・・ずいぶん波がある。鉱山はもう限界かもしれない。

●諸経費が増加したのは、教会の人件費が増加したため(牧師4人)。

-1085 -1215 0 0 -159 2400 -3802 -3861 -600 -882     高校
1961年   ●農業生産量は増加(3→7)、鉱業生産量も増加(1→3)。鉱山はもうしばらくいけそうだ。 3929 3053 0 0 -158 2900 -3938 5776 -300 4593      
1962年 6月、選挙判断。36対30の優勢なので、やることに。対抗馬は前回と同じく、宗教的派閥リーダーのマルガリータ。いつのまにか教師に転職したらしい。 ●海外からの援助合計が減少したのは、ソ連からの援助が減ったため。失業者はいないので、新しい移民の住む家が足りないということだろう。 -1286 2555 0 0 -160 2200 -3991 -681 -6000 -2087 農場×3    
1963年 6月、選挙は公正に行い、無難に勝利   -1894 -1260 0 0 -156 2400 -4004 -4915 -300 -7302      
1964年     -1959 9940 0 0 -148 2100 -4016 5916 900 -486      
1965年     16 5972 0 0 -159 2200 -3978 4051 -300 3264      
1966年     -1959 1940 0 0 -160 2300 -3987 -1867 -1200 197      
1967年   ●雨不足でパイナップルの生産量が激減、ほとんどをトウモロコシに切り替える。 4710 1945 0 0 -153 2700 -3878 5324 -1200 4321      
1968年 10月、選挙判断。32対49の劣勢だが、やることに。対抗馬は前回と同じく、宗教的派閥リーダーのマルガリータ ●昨年トウモロコシに切り替えたおかげで、農業生産量は倍増。 1362 1940 0 0 -157 2300 -3867 1578 -4600 1299   アパート  
1969年 6月、選挙に勝つため、無学歴階級の給料を一律$1上げる。しかし、選挙結果予測はほとんど変わらない。

10月、不正選挙を行い、42対38で勝利。なお、不正票は9票であった。

●無学歴階層は約70人いるため、昇給は月$70の支出増ということになるが、実際には労働時間なども関係するため、もう少し小さくなるのだろう。

●財政状況は厳しい・・農業収益か鉱業収益が増えてくれないと、どうしようもない。

-2184 -1380 0 0 -175 1900 -4025 -5864 -600 -5164      
1970年 選挙後、抗議行動がちらほらと目につくようになる。 ソ連からの援助が急増した。原因はよくわからない・・まさか、選挙を不正に行ったから? 584 4960 0 0 -166 2800 -4094 4084 -1200 -2280      
1971年 11月、補佐官よりクーデターが起こりかねないとの報告。仕方ないので、昇給。   4004 1760 0 0 -186 1150 -4095 2633 900 1252      
1972年   ●財政状況は厳しい・・固定した支出が約$4400あるため、農業収益・鉱業収益・海外からの援助でこの額を上回る収入を得ないと、全体としてマイナスになってしまう。プラスになったとしても、福祉施設を建てる余裕はないため、次の選挙を乗りきることは難しいだろう。ゲームオーバーの予感・・ -2296 1760 0 0 -181 1150 -4216 -3783 -1200 -3730      
1973年   ●諸経費が増加したのは、兵士が増えたため。 764 1760 0 0 -159 950 -4549 -1234 300 -4664      
1974年 10月、負債が$10000を超えたため、世界銀行より$20の所得制限をかけられる。 ●財政状況は絶望的・・スコールでも降ってくれないものか。 -696 -1440 0 0 -180 700 -4935 -6011 -900 -11575      
1975年 5月、選挙判断。35対49の劣勢だが、もっとひどい状況を予想していたので、ほっとする。選挙はやることに決定。対抗馬は、マルガリータよりも能力の低い聖職者のサミュエル。もう60歳では選挙は無理ということか。 ●なぜかソ連からの援助が急増。対抗馬のサミュエルが資本主義者の一員だからだろうか? 980 -1440 0 0 -145 2200 -4237 -2642 -300 -14517      
1976年 5月、不正選挙を行い、45対37で勝利。なお、不正票は13票であった。 ●久しぶりに経常利益がプラスになる。 -908 4972 0 0 -158 2500 -4276 2130 -300 -12687      
1977年 6月、支出削減のため、建築事務所の労働者を全員クビにする。これで年間$600近く浮くはず。   2186 -1440 0 0 -175 2100 -3950 -1279 -300 -14266      
1978年   ソ連からの援助が激減する。労働者をクビにしたために失業者が増えたためであろうか。結局トータルではマイナスであった・・ -260 1760 0 0 -165 900 -3750 -1515 -300 -16081      
1979年   ●誰か、この政権にとどめを刺してくれ・・ -1256 5168 0 0 -174 1000 -3756 982 -1200 -16299      
1980年 いつのまにか、教会にも高校にも誰もいない・・ ソ連からの援助が急増する。見ると、失業者が減っている。島を脱出したか・・ -296 4960 0 0 -156 1700 -3620 2588 -900 -14611      
1981年     1680 -1440 0 0 -148 2100 -3416 -1224 300 -15535      
1982年 2月、補佐官よりクーデターが起きかねないとの報告。起こして欲しいくらいだが、昇給。

3月、選挙判断。15対63の圧倒的劣勢。やりたいが、やらないことに決定。

7月、補佐官より暴動が起きかねないとの報告。

  -1180 1760 0 0 -160 1500 -3476 -1556 -300 -17391      
1983年 7月、暴動発生。支持者29人、反逆者40人。 ●暴動の最中なのに、経常利益がプラスになる。 -134 4098 0 0 -176 2300 -3468 2620 -300 -15071      
1984年 5月、暴動鎮圧。この過程で約30人が死亡した模様。

7月、アメリカが軍艦を派遣してくる。

  -1713 -984 0 0 -107 2500 -3188 -3493 -900 -19464      
1985年 12月、負債が$25000を超えたため、世界銀行より$15の所得制限をかけられる。 ●ここ15年近く、何も建てていない・・こんなのでも箱庭ゲームと言えるのだろうか。 -1671 -1128 0 0 -179 2600 -3237 -3616 -600 -23680      
1986年   ●突然、鉱業収益が急増。 -897 7622 0 0 -183 3000 -2932 6609 900 -16171      
1987年 11月、補佐官よりクーデターが起きかねないとの報告。 ソ連は気前がいい・・$4000も援助してきた。 -1977 -1374 0 0 -184 4000 -2804 -2340 -900 -19411      
1988年 6月、選挙判断。18対43の圧倒的劣勢。やらないことに決定。

10月、アメリカの軍艦が帰ってしまう

●突然、農業収益が激増。少し前によく雨が降ったからだろうか。 8262 -1440 0 0 -180 3000 -2760 6882 300 -12229      
1989年     -2272 -1440 0 0 -190 2800 -2774 -3876 -300 -16405      
1990年 10月、補佐官より暴動が起きかねないとの報告。   4389 -1440 0 0 -147 2500 -2760 2542 -900 -14763      
1991年 4月、暴動発生。支持者29人、反逆者31人。   -2074 -1272 0 0 -183 2700 -2687 -3516 -1500 -19779      
1992年 暴動はいまだ継続中・・   -2170 -1158 0 0 -188 3000 -2491 -3007 -900 -23686      
1993年 暴動はまだまだ継続中・・   -2272 -1362 0 0 -188 3000 -2418 -3240 -1200 -28126      
1994年 まだまだ・・   -2278 -1428 0 0 -188 2700 -2438 -3632 -1500 -33258      
1995年 2月、暴動鎮圧

2月、選挙判断。1対59の絶望的劣勢。やらないことに決定。支持してくれた一人が誰なのか知りたかった・・

6月、住宅の家賃をすべて2倍にする。

10月、マンションがになってしまったので、家賃を下げる。

●家賃を上げたおかげで諸経費は減ったが、微々たるものだ・・ -2236 -1350 0 0 -121 2100 -2179 -3786 -300 -37344      
1996年     -2260 6572 0 0 -180 1900 -2100 3932 -900 -34312      
1997年 1月、無学歴階層の給料を一律半額の$3にする。ちなみに、それ以上の階層の人は一人もいない・・ ●減給したにもかかわらず、ほとんど支出は減らず・・ 691 -900 0 0 -110 1900 -2117 -536 -1500 -36348      
1998年 1月、補佐官より暴動が起きかねないとの報告。なんで反逆しないのだろう?軍隊は一人もいないから、一人でも革命を成功させることができるのに・・

7月、補佐官より暴動は避けられないとの報告。

●突然の収入。しかし膨大な負債の前には・・ 5323 7074 0 0 -103 1500 -2135 11659 600 -24089      
1999年 4月、暴動発生。支持者20人、反逆者33人。

12月、支持者3人、反逆者27人。

かくして50年の統治は終幕を迎えた。なお、得点は-87点であった。