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島主日誌その1

主人公特性

カストロ

  • ソ連との外交関係:かなり良い
  • 農業の生産性:やや高い
  • ラジオとテレビの独断的主張:きわめて強力

1950年代前半

とりあえず状況把握、アメリカとの関係が緊張化。

1951年2月

とりあえず島を見渡す。

総人口:51人

トロピコには6つの派閥がある。

複数の派閥に入っている人もいるので、派閥毎の人数の合計は総人口を上回る)

  1. 軍国主義者(31人)★★★★★★

    リーダー:リカルド

    指導力:非常に良い

  2. 宗教的派閥(28人)★★★★★

    リーダー:エドガー

    指導力:天才的

  3. 共産主義者(21人)★★★★

    リーダー:ハンベルト

    指導力:平均以下

  4. 資本主義者(9人)★

    リーダー:トーマス

    指導力:非常に良い

  5. 知識人(14人)★★

    リーダー:ジュアン

    指導力:貧しい

  6. 環境保護論者(20人)★★★★

    リーダー:スザンナ

    指導力:非常に良い

選挙の対立候補にエドガーが出てくると、

個人的能力が高く派閥も大きいので、辛そうだ。

よって、しばらくは宗教重視でいくことにする。

1952年6月

住民に宗教施設を提供するため、教会建設開始

断っておくが、宗教的派閥懐柔のためではない。

1952年12月

国の平和を守るため、兵器庫建設開始

断っておくが、軍国主義者懐柔のためではない。

1954年1月

軍国主義者リーダーのロナルドが「兵士の給料が低い」との陳情。

いつのまにかリーダーがリカルドからロナルドに変わっている。

ロナルドの指導力は「天才的な」・・無視できない。

仕方ないので、給料を1上げる。

トロピコが反米的なスタンスをとっていることに、アメリカが懸念を表明。

実際のところ、何もこちらはしていない。

ソ連と仲良くしているのが気に入らないのだろう。

トロピコ近海に軍艦を派遣してきた

外交官を雇って関係改善をしなければ・・外務省庁建設開始。

1950年代後半

初めての選挙、終わりなき統制の始まり・・

1955年1月

外交官が着任、親米政策をとらせる。

アメリカ賞賛の公式演説もする。

とにかく軍艦は帰って欲しい。

共産主義者が反発しないか心配だが・・

1956年6月

市民の治安を守るため、警察署建設開始

断っておくが、抗議行動を取り締まるためではない。

1956年9月

警察署完成、刑務所建設開始

1957年1月

運搬人のパオロが抗議行動をしている。

住む家がなくて掘っ建て小屋で暮らしているのが不満らしい。

住宅を増やすことにする

1957年3月

刑務所完成。

する必要のない話だが、これで抗議行動者を逮捕することが可能になった。

アメリカの軍艦がいまだに去らないので、ソ連と軍事同盟を結ぶ。

同盟を結ぶと、すぐに軍艦は去っていった。

ほっと胸を撫で下ろす。

しかし今度はいろいろソ連から指示されるのもいやなので、

親米政策から親ソ連政策に反転するよう外交官に指示。

1957年11月

労働者のヒッポリトが抗議行動をしているのを目撃。

どうやら医療不足が不満らしい。

診療所を建設開始

補佐官から、選挙実施の要望が出ているとの報告。

現在の支持率は、13対41の圧倒的不支持である。

敗北必須なので、今回は選挙を見送ることにする。

なに、最初の内は仕方ない・・

1958年2月

資本主義者リーダーのトーマスが「農業・天然資源採掘だけでなく、

より収益率の高い工業・観光産業を興せ」との陳情。

ちなみに現在の派閥構成は、

  • 軍国主義者52人★★★★★
  • 宗教的派閥42人★★★★
  • 共産主義者43人★★★★
  • 資本主義者18人★
  • 知識人16人★
  • 環境保護論者21人★★

資本主義者は弱小派閥だし、お金にも困っていないので、

当面は無視することにする。

1958年3月

労働者のパウラが抗議行動をしているのを目撃。

熱心な宗教的派閥の構成員で、どうも信仰の場が不足していることが不満らしい。

当分宗教施設を拡充する余裕もないので、心は痛むが、逮捕することにする

パウラにつられてアンドレアも抗議行動を開始。

心は痛むが、合わせて逮捕することにする

1958年10月

選挙を行うかの最終判断。予測は10対43の圧倒的不支持

決めておいたとおり、しないことに決定。

それにしてもこれほどまでに支持率が低いのは、

やはり軍隊を拡大しないことに対する軍国主義者(最大派閥)の不満であろうか。

将来的には、自前の軍事基地を作ってもいいかもしれない。

1958年12月

軍隊増強のため、監視小屋建設開始

国の平和を願うからこそである。

1959年1月

知識人リーダーであるソニアが思想統制を弱めてくれと陳情してきた。

軍の統制を減らし、きちんと選挙をしろということなのだろうが、

そんなことをすればクーデターが起きるし、

今のところ選挙をしても勝ち目はない。

よって、無視することにする。

島に工場を建てるか迷っている。

工場を建てれば島の財政はもっと良い状態になるだろう。

将来的に外界の収入水準が上がってきたときに、

今の島の収入水準では大きな不満が出ることは間違いない。

ただ、どうしても工場労働者には高い賃金を

払わなければならないため、賃金格差が生じ、

大きな派閥である共産主義者の反発を買うことも必須であろう。

だがしかし時代の流れには逆らえないということで、工場建設を開始

同時に工場労働者を養成するため、高校の建設も開始

1959年5月

農夫のモニカが抗議行動。

家賃が勝手に値上げされたと激怒しているが、そんなことはしていない(本当に)。

逮捕しようかと考えたが、調べてみると

彼女は共産主義者リーダーであることが判明。

こういうときはむしろ賄賂を送るのが良いだろう。

よって、賄賂を送るために必要な銀行を建設開始

1959年9月

坑夫のハンスが抗議行動。心痛むが、即逮捕

補佐官から医療不足が起きているとの報告。

しかし当面は、どうしようもない。

1960年代前半

過激派の攻撃、工場が稼働し始める。

1960年1月

補佐官から、リカルドが過激派として森に消えたとの報告。

しかしまだ1人ということで、放っておくことにする。

1960年4月

農夫のギレルモが抗議行動。

思想統制、宗教不足、娯楽不足が不満らしい。

心痛むが、即逮捕

1960年6月

煙草を加工するための葉巻工場が完成

工場労働者は島内ではまだ育っていないので、

とりあえず外国から3人雇い入れる。

過激派のリカルドが採掘場に攻撃をしかけてきた。

まぁしかしまだ1人ということで、3人いる軍隊が処理してくれるだろう。

1960年8月

補佐官から反乱鎮圧の報。よしよし。

1960年10月

銀行完成。早速、あまりこういうやり方は好きではないが、

共産主義者リーダーのモニカに賄賂を送る

労働者のアルバートが抗議行動。

逮捕するにも、刑務所に空きがない

刑務所の管理者を新しく一人雇い入れることにする。

1961年4月

新しい刑務所管理者が赴任するも、前からいたもう一人がやめてしまう。

外国へ行ってしまったのだろうか。今となってはわからない。

仕方ないので、さらにもう一人雇い入れることに。

高校完成。教師を一人雇い入れる。

1961年7月

採掘した金を加工するための宝飾品工場が完成

とりあえず3人の工場労働者を外国から雇い入れる。

この工場と前に建てた葉巻向上の収益が出始めたら、

娯楽、宗教、医療の向上にお金を費やすのも良いだろう。

未来は明るい・・

1962年1月

坑夫のイグナシオが抗議行動。

自由不足と賃金の低さが不満らしい。

しばらくは対応不可なので、心痛むが(もういいか?)、即逮捕

建設業者が暇をもてあましており、

総人口も増えてきたため、住宅を増やすことにする。

1962年6月

総人口が100人を超える。

ドック労働者のフレデリックが抗議行動。

思想統制が不満。即逮捕

1962年11月

補佐官から、軍の将校が不満をもらしているとの報告。

しかし、別に給料や軍隊規模が不満ではなさそうだ。

思想統制に兵士も嫌気がさしているのだろうか。

1963年10月

葉巻工場から収益が出始める

1964年4月

坑夫のパーシーが抗議行動。

思想統制、賃金不足が不満。即逮捕

1964年8月

ソ連大使が「同盟を結んだにもかかわらず

我が国への賞賛がないのはなぜだ」と言ってきた。

従わない場合、軍事基地の年間賃貸料を1000から60に下げるという。

しょうがないので、ソ連賞賛の公式演説をやる。

1964年10月

宝飾品工場からも収益が出始める・・・安堵。

これでようやく、娯楽、宗教、医療の向上にお金を費やすことができそうだ。

とりあえず大聖堂、キャバレー、パブ、発電所を建設開始

1960年代後半

逮捕と脱走、2度目の選挙。

1965年1月

農夫のエリスが抗議行動。

娯楽不足、思想統制が不満。即逮捕

1965年2月

坑夫のアルバロと労働者のエドアロが抗議行動。

共に娯楽不足、思想統制が不満。即逮捕

刑務所は満杯だ・・

1965年3月

労働者のフィオナが抗議行動、刑務所満杯のために逮捕できず。

刑務所を増やすか?さすがに(本当に)良心が痛む。

1965年6月

刑務所の管理者が1人、勝手にやめてしまう。

監視不足になり、服役者が4人逃亡。ちとまずいかも。

1966年2月

知識人リーダーのソニアが思想統制を弱めてくれとの陳情。

そりゃ俺だってなんとかしたいと思ってるよ・・

この間、あちこちで抗議行動

刑務所の空きがなく、また福祉に投資中なので、放置。

1966年9月

補佐官から、選挙実施の要望が出ているとの報告

現在の支持率は、25対59の圧倒的不支持であるが、

これくらいだったら不正選挙+減税で乗り切れるかもしれない。

1967年2月

坑夫のマテオが抗議行動。思想統制が不満。

選挙が近づいているが、まだ良いだろうということで、放置

1967年6月

発電所完成。病院の建設開始

1967年8月

選挙を行うかの最終判断。予測は11対72の圧倒的不支持

そうとう強力な対立候補が出てきたのだろうか?

少し対立候補を確かめてみたい気もしたが、選挙は行わないことを決定。

この後、しばらくあちこちで抗議行動。

いちいち逮捕してもらちがあかないので、軍隊と警察を増員

1967年10月

補佐官から、軍隊が不満をもらしているとの報告。

おそらく選挙不実施による思想統制が不満なのだろう。

しかし、規模を拡大させているので、無視することにする。

1967年12月

共産主義者リーダーのモニカが所得格差是正の陳情。

確かに無学歴階層の所得の低さは気になっていたが、

賃上げする余裕は今の国庫にはない。

かわりに、アパートを一つ無償で開放することにする。

1968年7月

国庫がマイナスになり、負債が増えはじめる・・

1968年10月

補佐官から、住民の医療が不足しているとの報告。

だが病院を建てようにも、資金がない。よって無視。

1969年10月

刑務所の看守が一人やめたため、服役囚が4人脱走。やれやれ・・

少し国庫が持ち直したが、しばらく様子を見ることにする。

1970年代

軍部との関係が緊張化、3度目の選挙。

1972年4月

国庫がかなり持ち直したので、病院を建設開始

また、無学歴層の所得を少し上げる・・

選挙直前にやった方が良かったか?

1972年11月

補佐官から、軍隊が不満をもらしているとの報告。無視。

1973年3月

知識人リーダーのリンダが思想統制を弱めてくれとの陳情。無視。

1974年3月

島民の国に対する敬意を高めるため、ラジオ局を建設開始

1974年11月

ラジオ局完成、「オール・プレジデンテ、オール・デイ」を毎日流し始める

補佐官から、軍部の不満がかなり高まっているとの報告。

仕方ないので、給料を少しだけ上げる。

1975年8月

補佐官から、選挙実施の要望が出ているとの報告。

現在の支持率は、10対88の圧倒的不支持

病院建てて、ラジオで演説して、それでもこれだけか・・しばし絶句。

1976年7月

選挙を実施するかの最終判断。

支持率は11対89の圧倒的不支持

やるわけないだろ・・

1976年12月

共産主義者リーダーのジュアンが所得格差是正の陳情。

だんだん疲れてきた・・

1978年3月

刑務所の残っていた方の看守が突然やめ、服役者は全員脱走

なんだそりゃ・・やはり全員フロリダ送りにした方がいいのだろうか。

1978年11月

環境保護論者リーダーのパオロが

「環境が悪化している」と公式に非難してきた。

しかし、現状で工場の生産性を落とすわけにはいかない。

しばらくは無視することにする。

ソ連が貿易派遣団を要請してきた。仕方ないので従う。

1980年代

4度目の選挙、クーデター。

1983年8月

補佐官から、クーデターが起きかねないとの報告。

これまでも何回か昇給してきたが、さらに昇給。

1984年8月

補佐官から、選挙実施の要望が出ているとの報告。

現在の支持率は、18対96の圧倒的不支持。まだまだ無理・・

1985年3月

島の食料が全然不足していることに気づく。なんてこった!

1985年7月

選挙を実施するかの最終判断。

支持率は14対105の圧倒的不支持。却下。

1986年2月

発電所の技術者が3人次々と国外に出てしまったため、

島の電力が維持できなくなる

大卒労働者にとっては出たくなるような島であることもわかるが、痛い。

病院等の機能が停止する。

仕方ないので、緊急で3人国外から雇用し、給料を大幅に上げる。

1988年8月

国庫は負債10000を超え、世界銀行から給与制限を指示される。

マーチンが過激派化した。

補佐官より、クーデターが起きかねないとの報告。

しかし、給与制限のため昇給は不可能。

1989年4月

補佐官より、抗議行動を扇動している者がいるとの報告。

1989年5月

軍隊の兵士9人の内5人がクーデターを起こした

宮殿前で銃撃戦が始まる。

4対5で不利だったが、なんとか勝利し、クーデターは鎮圧された。

1990年代

最後の選挙、暴動が起きる?

1990年1月

在位40年である。退位するまであと10年。

1回くらいは選挙で勝ちたいものだ・・

1991年11月

気づくと、大聖堂、病院、診療所に誰もいない

この国が嫌で、みな外国に移住してしまったようだ。

仕方ないので給料を上げて、機会を見て再度外国から再雇用することにする。

1992年5月

国庫の状態がだいぶ持ち直したので、

大聖堂、病院、診療所の職員を1人ずつ再雇用する。

先のクーデターで軍隊の規模が半減したため、

市民の思想統制感が減少しているようだ。

ただその一方で、抗議行動も増えている気がする。

1993年8月

補佐官から、選挙実施の要望が出ているとの報告。

現在の支持率は、12対121の圧倒的不支持

もはや選挙での勝利は絶望的である。

補佐官から、軍が不満をもらしていたとの報告。やれやれ・・

1994年2月

補佐官から、クーデターが起きかねないとの報告。

大幅に昇給。

1994年8月

選挙を実施するかの最終判断。

支持率は7対122の圧倒的不支持。却下。

テレビやラジオで敬意高揚をはかったのだが、結局無駄であった・・

1998年2月

過激派がトウモロコシ農場に攻撃を開始。

だがまぁ、軍隊が強力なので心配する必要はあるまい。

なお、これまでにも何回か過激派の襲撃はあったが、すべて鎮圧している。

1999年2月

補佐官から、クーデターが起きかねないとの報告。

しかし給料は既にかなり上げているのだが・・ほぼ上限近くまで昇給。

1999年4月

補佐官から、住民の暴動が起きかねないとの報告。

仕方ないので、無学歴階層の給料を一律で少しだけ上げる。

2000年1月

かくして50年の統治は終わった。