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ひっそりと再開。方針はまだない。

その他:研究者になるということ(私と友人のメールでの議論)

はじめての方へ

自分は、理学部の学生です。ということは、将来は「研究者」になるのでしょうか?

 

そんなわけないですね。理学部といったって、大学院に進まず就職する人もいます。文系就職する人もいますし、教師になる人もいます。「理学部生=研究者」ではありません。

だから我々理学部生(他の理系の学部の人も)は選ぶことになります。すなわち‥‥研究の道か、否か。

大体の人は大学院に進みます。一部の人だけが、就職していきます。でも、大学院に進んだからといって、「もう研究者で決定!」というわけでも、ないです。私の身の回りにも、大学院に進んだけれども「これからはずっと研究‥‥か?ちょっと待ってくれ」という人を知っています。

そういったことについて、メールで議論してみました。さてさて、どんな会話が飛び交ったのでしょう?

 

     
  • 「ずっと研究し続けるからには、そのテーマが自分ののめり込めるものでなければ無理だ」  
  • 「いや、研究とはいやでもしょうがなくてもやる、一つの職業だ」  
  • 「続けていくうちに、その楽しさが見えてくる」、等々‥‥

ちょっとここで発言者を紹介しておきましょう。

     
  • Iさん 理学部大学院D1(非線形物理)の方です。  
  • Tさん 理学部大学院M1(気象)の方です。  
  • たつ   私です。理学部3回生(物理系)です。  
  • Oくん 私と同じく、理学部3回生(物理系)の人です。

ちなみに、この4人は全員、熊野寮生です。

さて、それではどうぞ、最初の発言へ。

5月3日、Iさん

Iです。

たつ君から何か始めましょうと提案があったので最近僕が 思っていることをちょっと紹介したいと思います。

 

今、僕はこれからどんな研究をやっていくのかを考えている段階なのですが 少し悩んでいます。というのもなぜか勉強が手につかないからです。調子が悪 い時にはいろいろ考えてしまうもので、自分は何で研究すんのかなぁというこ とまで考えるようになってしまいました。

研究というのは人のためというよりは自分のためにやるというイメージがあ ります。実際、理学部の研究はかなりの部分がそうだと思います。だから研究 というのは自分がよっぽどやる気がないとというか好きじゃないと続かないと   思います。好きじゃなくてもそれなりに研究のできてしまう器用さを持ってい る人はそれはそれで研究を職業としてやっていけるのでしょうが、、。今の自分にはただ好きだからという理由だけで研究を続ける自信というかやる気というか、が薄いです。

 

何だか悩み相談室みたいになってしまいましたが、
「基礎研究もこんな面で人の役に立つものだよ。」とか、
「そんなこと悩む暇があったら少しでも人の役に立つような研究テーマを 探したらいいやん。」などなど
”なぜ研究するのか?”について意見や感想などをこの場でやりとりできれば と思います。

体験談などでもよろしかったらお聞かせ下さい。

5月7日、Tさん

Tです。
  Iさんからのメールの返事。

 

まずは僕の体験談から。

僕が3回生のとき、山登り(沢登り)にのめり込んでいたときがありました。 地図を見ているだけでゾクゾクして来て、その情景が思い浮かぶのです。それ以外の   ことは忘れて、行き着くとこまで山登りを続けていたいと思っていました。でも、 一方で自分の将来についても気になっていました。その時は何となく、物理系に行って、   研究者になりたいと思っていたのですが、物理に進むには勉強を今のうちから 始めなければならない、ということを感じていて、一方では山に行きたいという欲求、   もう一方では勉強しなければならないというプレッシャーを感じていました。 で、結局、山が好きだから、夏休みまでは山に行き続け、その後勉強しようと思って いたのですが、勉強ははかどらず、自分には物理は進めないなあと思い、現在に至るわけです。

で、なんでそんなに山登りが好きになったのかと考えてみたのですが、始めは何となく 上回生に連れていってもらっていて、しばらくは何の感動もなかったです。適当に   続けているうちに、ある日突然楽しく感じるようになりました。それは、今まで 無感動だった世界に、新たな一面を発見して、こんな面白いものだったのか、という   ものでした。

実際今でも山に登ることは好きだし、地図を見るとあの時のゾクゾク感は、今でも 感じることが出来ます。でも、職業にすることは無理です。沢登りをしながら出来る   職業はないか、とも考えたのですが、なにか別の職業をしながら一方で山を楽しむ、 という形に落ち着きそうです。

Iさんに対する答としては、自分の研究の中に何か楽しいものを見つけていく、 もしくは、研究というものを単なる仕事として割り切って考える、ということだと思います。   何となくやってくうちに、楽しいことは見えてくると思うし、それで見えてこなければ 別の道を探していくしかないとおもいます。(これは誰にでもいえることです)

ただひとつ、理学部の研究が好きでないと続かないというのは、間違いだと思います。 研究というのも単なるひとつの職業ではないでしょうか。世の中の人達も、本当に   好きで仕事をやっている人もいれば、仕事は仕事として割り切って、アフター5の 楽しみに生きている人もいます。僕は理学部が特別とは思わないようにしています。

 

     

5月9日、Iさん

Iです。

 

そうですね。最近は勉強が手につくようになってきたので気分にも余裕がでてきて、 研究の中にも楽しみを見つけようというか、自分の楽しめる研究をしようと思うように   なりました。職業としてわりきるには僕はぐうたらすぎて何もしなくなる恐れがありま すし、わりきる前にまだまだ楽しめそうなことがあるような気がします。

5月10日、たつ

 

私と友人のメールでの議論

たつです。

はじめのIさんのメールは:

 
  • なぜ自分は研究するのだろうか。  
  • 理学部ではだいたい「自分のためにやる」というイメージだ。  
  • 好きじゃなくてもできる器用な人もいるのだろう。  
  • 「ただ好きだから」というだけで続ける自信が、自分にはない。
  • 乱暴にまとめてしまうと、この様な内容であると思います。

    次のTさんのメールは:

     
  • 物理に進むことと山に行くことを両立させたかったが、できなかった。  
  • それほどに自分は山登りが好きだ。  
  • 初めはなんとなく→「こんなに面白いものだったのか」  
  • 職業にしたいと考えたが、趣味という形に落ち着きそうだ(ここまでが例)。  
  • 研究も「初めはなんとなく」ではないだろうか。  
  • もしくは、研究は「単なる仕事」と割り切り、楽しみは別に見つけるものではないだろうか。
  • これまた乱暴にまとめてしまうと、この様な内容であると思います。

     

    Tさんの話はまったくもって正論であると思います。とてもしっかりした論理で、自分は最初「どうやって続けよう」などと思ってしまいました。

    でも、読み返してまとめてみると、少し引っかかるところがあります。

    Tさんの話の中の「何となくやっていくうちに、楽しいことは見えてくる」というのは、大変いい話だと思います。自分は基本的に賛成です。でもやっぱり、始めるときは恐い、とも思います。特に研究ということは、何十年という長さの話です。このさき何十年も続けることを、「何となくやっていくうちに、楽しいことは見えてくる」といって決めてしまうのは、少し厳しいのではないかと思います。

    Tさんの場合は「山登り」で、悪い言い方をさせて頂くと「いつでもやめられる」ものです。ですから、「なんとなく始めて」みてもそうリスクはありません。それに対して「研究」は、いつでもやめられるものでは決してありません。リスクはかなりのものです。自分はまずひとつめに、「この差は大きいのではないか」と思います。

    さらに、これは全く自分の主観なのですが、山登りであれば「多分そのうち面白くなる」と思うこともできますが、研究では難しいと思います。自分は純粋に、「山登りはやっていればそのうちに面白くなりそうだけど、研究は本当にのめり込めるテーマでないとあまり面白くなりそうではない」と感じてしまいます。つまりどういうことが言いたいのかというと、「なんとなくやっていくうちに、楽しいことは見えてくる」というのは、実は、「はじめは何となくでも、楽しいことが見えてきそうなので続けた。その結果、楽しいことが見えてきた」ということなのではないでしょうか。

    ちょっとここで断わっておくと、自分はべつにTさんの意見を批判しているわけではありません。Tさんの話はそれはそれで、大変いい話だと思います。自分はTさんのような話は好きです。自分も「とにかく始めてみよう」と思って行動することは多いですし、その結果嬉しいことがあると「やってよかった」と思います。逆に誰か他の人が何か始めにくいことの前で尻込みしているのを見ると、「とにかく始めてみろよ」と言いたくなります。

    しかし今回のこの「研究」ということに関しては、この様なことを当てはめるのは難しいのではないか、というのが自分の意見です。

    また、Tさんは「はじめは何となく」の他に「単なる仕事と割り切る」ということを言われていますが、自分は、「割り切る」のは「もうそうするしかない」と悟ったときのことだと思います。やはり、できることならば、「自分の仕事」を「自分の楽しみ」ともしたいものですよね、、こんなことを言うのは自分がまだ「若い」だけなのかもしれませんが、でもやっぱりそう考えてしまいます。

    ずいぶんダラダラと書いてしまいましたが、いかがでしょうか。Iさんから出された本来のテーマである「研究」について自分の意見を言えなかったのが残念ですが、この辺で筆を置かして頂きます。お粗末さまでした。

    5月15日、Tさん

    Tです。私自身もメールのReply が遅くて申し訳ない。
      議論を続けていいのかな?たつさんの意見に対するReply:

     

    「研究」はこの先何十年も続けることであるから、「何となくやっていくうちに、楽しいことは見えてくるといって決めてしまうのは、少し厳しいのではないか。また、「何となく始める」ということも、実は楽しいことが見えてきそうな予測があるのではないか。

    たつさんの考えの前提には、既に、「研究」というものをライフワークとして楽しんでやるものである、ということがあると思います(このことにはたつさんのメールの最後に書いてありましたね)。それに対して、私の考えは、研究も単なるひとつの仕事である、と思っています。しばらくやってみて、面白くなければ他の道を探せばいいと思うし、もし他の道がないのなら、その時点で割り切って生活の糧としてやっていけばいいと思っています。割り切ってやっていくうちにまた面白くなることもあると思うし。実際、人のやることはそうではないでしょうか。きっかけがある、ないは別にして、

      何かを始める → 楽しい → 谷間の時期 → 続ける → 再び楽しい、へ

                                           → 何かを始める、へ

    こんなものではないでしょうか? うーん、だんだん本題とずれてくる予感が…。

    5月30日、Oくん

    Oです。
      お初お目にかかります。

    さて、研究について僕の思うこと
      まだまだ未熟で幼いことをいうかも知れませんが聞いてやって下さい。

    僕は、自分の知的好奇心を満足させることを一番に追求したいと思います。ただ、そんな研究には、簡単には巡り合えないでしょう。そんな時は、自分の研究が社会の役に立っていると信じて、補償したいと思います。ほとんど全ての研究には会社、または国がお金を出しているわけだから少なくとも、彼らの役に立っていると、信じることは可能です。役に立たないものにお金を出すはずがないのですから。

    上のどちらかが満足されれば、研究が楽しいと思える気がします。社会的貢献は、自分一人が信じられればいいのですから比較的容易ではないでしょうか。

    上のどちらも満足されなければ、どうしましょう。
      Tさんの意見どうり、仕事と割り切るしかなさそうです。

    5月30日、Iさん

    Iです。

    そうですね。自分の好奇心ために研究ができれば一番いいと思います。

    そこでふと思ったのですが、好奇心にも勉強したいという好奇心と、研究したい という好奇心があると思います。勉強したいというのはもう誰かが研究したこと、   整然と整理された事実、を知りたいということであり、研究したいというのは人の 知らないことを発見したりもやもやとはっきりしないことを理論づけたりしたいと   いうことです。簡単に言うと、同じ好奇心をもとにした行動でも勉強は模倣的で研 究は創造的ということです。

    当然、勉強と研究は対立するものではありません。勉強のための勉強なんて全然 面白くなくて勉強しながらでもたいていは頭の中で創造的な活動をしながら勉強を   楽しんでるのでしょう。研究するにしても勉強なしに研究するのはかなりしんどい というより不可能だと思います。

    好奇心があって、だからどうすると言う時にまず勉強する。(いきなり自分のや り方で研究を始めてしまう人もいるでしょうが。)その後でもっと知りたいから研   究する、あるいは勉強だけじゃ物足りないから研究する。好奇心からの勉強と研究 の関係はこんなもんだと考えられます。

    ところで研究する理由が好奇心を満たすためじゃない場合もありますね。例えば 白菜の芯はどうしたらおいしく食べることができるか、といった好奇心と言うより   は実用が目的の研究が。(この例は好奇心もあるかな。)こっちの場合は、何かを 知りたいと言うより何かを実現したいという欲求が動機になっています。企業でや   っている研究はこっちが中心でしょう。

    というわけで研究にも純粋に好奇心からやるのと、実用的な目的があってやるの とがありそうですね。

     

    何だかまとまらない内容になってしまいまってすみません。僕は勉強がまぁまぁ 好きで、研究は白菜の芯をおいしく食べるというような実用的な目的がある方が僕   にとっては面白い気がします。

    補注

       
    • その後、Iさんは博士課程を中退、ソフトウェア会社に就職した。
    •  
    • Tさんは修士課程修了後、西日本新聞社に就職。
    •  
    • O君も修士課程修了後、国家公務員一種へ。
    •  
    • そしてなぜか俺だけが、博士課程2年目に突入・・・