The Untitled

ひっそりと再開。方針はまだない。

くまつう記事:私の好きな店

 居酒屋「あけぼの」は、熊野寮とは切っても切れない昔からのつきあいだ。

 東大路を二条のすぐ手前までおりた東側にある、一軒の小さな飲み屋。入ると古びた店の中には15席ほどのカウンターがある。ちょっと見渡せば、たいてい寮生の姿を見つけることができるはずだ。もしいなくても、奥の座敷にいるかもしれない。15畳ほどの部屋に座卓がいくつか置いてある。だけど奥に入るときは、ちょっとご注意。途中の炊事場ではおねえさんが忙しく働いているからだ。ちょっと小柄で笑い顔の印象的な彼女こそ、この店の主だ。

 「寮の初代委員長から知っているよ」。
 今のおねえさんが母から継いで「あけぼの」で働き出したのは、もう30年前のこと。ちょうど熊野寮ができた直後にあたる。当時はカウンターしかなく、熊野寮生と吉田寮生が客だった。席を取り合ってしょっちゅうケンカしていたとか。「昔はいつもケンカしてたよ。飲んでいて討論になったりするとな、窓は割れるわドアは潰すわで。そのたびに店が少しきれいになるんやけどな」と、おねえさんはニヤっとわらう。「でもな、次に来た時はケロっとして一緒に酒を飲んどるんや」。

 「あけぼの」の歴史は古い。ひいおじいさんが下級侍で働かず、ひいおばあさんは生活するために平安神宮の近くに茶店をまず開いた。しかし客は来ず、今の場所に移って一膳飯屋を開く。「ようやく電車が走り始めた頃かな」。まだ世は大正、まわりはたんぼと墓地しかなく、お客は川端署の人達だけだったという。居酒屋となったのは、母の代から。「うちは代々男は働かず、女が支えてきたんや。息子はどうやろうか」。

 よく寮に麻雀を打ちに来ていらしたそうで?「ええ、麻雀は寮生さんに教えてもらいまして」。店が終わると、打ちに寮に来る。昔も寮では毎晩、各階で打っていた。その頃はまだボイラーが各部屋に入っており、冬なのに暑いのでみんな裸ですごしていた。窓もあけていた。「みんな点1で打ってるんやけどな、私が入ると点5になるんや。それでまきあげられるんやな。でも、その次の晩にはまた戻ってくるというわけや」。なるほど、うまい仕組みだ。

 実は、ただのおねえさんではない。「海外旅行が、私の病気やねん」。10年くらい前から頻繁に行くようになった。なるたけ遠いところへ行く。こないだの春には息子と二人でノルウェースピッツベルゲンに行ってきた。地図にも載っていない、ホテルのある最北の町。北極の暑い氷が目の前にある。彼方にではなく、目の前にオーロラが見える。風が吹くと、ざわっと揺れる。「オーロラの音って聞いたことあるか?」と、おねえさんはうれしそうだ。「金は使うためにあるんや。いつ飛行機が落ちて死んでも本望ですよ」。アラスカ、アイスランドにも行った。いつか南極にも行ってみたいが、「ちょっとこれは無理かな」。

 最近の寮生はどうですか?「おとなしいなあ、ケンカもしないし。あと、女の子が来るようになった。昔は男しか来なかったのに」。変わったのは共通一次が始まった頃から。話題も変わった。昔はみんな「思想」について話し込んでいたという。4年で卒業する学生なんていなかったそうだ。あと一つ変わったことといえば、「みんな風呂に入るようになったなあ」‥‥

 最後に一言‥‥
 「ちょっと変わっていて汚い店ですけど、気軽に来てみて下さい」。