プレジデンテ:Manuel
Noriega
難易度:政治・経済ともに「難しい」
圧制をしいて経済を発展させるタイプである。
今回も、あらかじめ方針を決めてからスタートした。
選挙
絶対しない
(民主主義の期待度:ほとんどゼロ)
(総合的な敬意:-15%)
一般住民対策
- 福祉施設は基本的に一切建てない
- 無学歴者の給料は$1、高卒者の給料は$2
軍隊対策
- 兵士の給料は$50
- それでも兵士の幸福度が低くなってきた場合は、
キャバレーをはじめとして娯楽施設を建てるが、
一般人が入れないように料金を引き上げる。
- 暴動対策として治安強化
- 国外逃亡対策として入国管理局強化(出国禁止)、
大卒者の給料$50
外交
中立
(外交修正はなし)
経済
収入源:装飾品、ラム酒、葉巻
(観光の評価:-10%)
(工場の生産性:+20%)
(銀行と店舗の建設費:-25%)
その他
軍国主義者の敬意:+40%
資本主義者の敬意:+10%
自由度:-30%
犯罪発生率:-60%
軍事施設の建設費用:-25%
総合的な輸出価格:+10%
警官が凶悪
出来事など | 生産施設 | 福祉施設 | その他施設 | 布告 | デモ参加者 | 反逆者化 | 反逆者 | 死亡反逆者 | 兵士 | |
1950年 | 兵士の給料を$50、他をすべて$1にする | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ||||
1951年 | 伐採所 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I2+H3-I3">0 |
2 | ||||
1952年 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I3+H4-I4">0 |
2 | |||||
1953年 | 建築事務所 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I4+H5-I5">0 |
2 | ||||
1954年 | 農場 | 建築事務所 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I5+H6-I6">0 |
2 | |||
1955年 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I6+H7-I7">0 |
2 | |||||
1956年 | 移民が一人も来ない・・仕方ないので給料を上げると、突然来るようになった。 | アパート | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I7+H8-I8">0 |
2 | |||
1957年 | デモをする人は一人もいない・・軍隊を強化するのはもっと後でも良かったかも | アパート | 運送会社 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I8+H9-I9">0 |
2 | ||
1958年 | ちらほらとデモ参加者が現れはじめる | 農場 | アパート | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I9+H10-I10">0 |
2 | ||
1959年 | 4月、選挙告示。結果予測は20対26の劣勢。方針通り拒絶する。 | 採掘所 | 入国管理局 運送会社 |
0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I10+H11-I11">0 |
2 | ||
1960年 | 伐採所 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I11+H12-I12">0 |
2 | ||||
1961年 | 人口が100人を超える | 1 | 0 | 0 |
x:fmla="=I12+H13-I13">0 |
2 | ||||
1962年 | 兵士の幸福度を上げるため、専用の娯楽施設を建設 | 農場 | パブ | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I13+H14-I14">0 |
2 | ||
1963年 | 農場×5 | レストラン | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I14+H15-I15">0 |
2 | |||
1964年 | 兵士の幸福度を上げるため、専用の住居を建設 | 採掘所 | キャバレー 住居 |
3 | 0 | 0 |
x:fmla="=I15+H16-I16">0 |
2 | ||
1965年 | 8月、反逆者が農場に攻撃開始 | 住居×3 | 1 | 1 | 1 |
x:fmla="=I16+H17-I17">0 |
2 | |||
1966年 | 10月、補佐官より暴動が起こりかねないとの報告 | 兵器庫 | 4 | 0 | 1 |
x:fmla="=I17+H18-I18">0 |
2 | |||
1967年 | 1月、補佐官より暴動は時間の問題との報告。仕方ないので、戒厳令の布告を出す。 | 住居×2 | 監視小屋 警察署×2 |
戒厳令 | 1 | 0 | 1 |
x:fmla="=I18+H19-I19">0 |
2 | |
1968年 | 4月、監視小屋と警察署が完成したので、戒厳令解除 5月、反逆者が伐採所に攻撃開始 7月、反逆者撃退 7月、選挙告示。結果予測は5対123。拒絶。 |
監視小屋 住居 |
戒厳令解除 | 1 | 1 | 1 |
x:fmla="=I19+H20-I20">1 |
4 | ||
1969年 | アパート | 高校 市場 |
1 | 0 | 1 |
x:fmla="=I20+H21-I21">0 |
5 | |||
1970年 | アパート | 3 | 0 | 1 |
x:fmla="=I21+H22-I22">0 |
5 | ||||
1971年 | 4月、反逆者が伐採所に攻撃開始 | 製材所 葉巻工場 |
アパート | 4 | 0 | 1 |
x:fmla="=I22+H23-I23">0 |
4 | ||
1972年 | 人口がいつのまにか200人を超えていた | 3 | 1 | 2 |
x:fmla="=I23+H24-I24">0 |
5 | ||||
1973年 | 1月、補佐官より暴動が起きかねないとの報告 いつのまにか伐採所が反逆者によって破壊されていた 2月、補佐官より、クーデターが起きかねないとの報告 4月、補佐官より暴動は時間の問題との報告。 5月、クーデター発生。支持者3人対反逆者2人。すぐに鎮圧。 |
0 | 2 | 3 |
x:fmla="=I24+H25-I25">1 |
3 | ||||
1974年 | 1月、反逆者が伐採所に攻撃開始 4月、軍隊増員が到着し、軍国主義者の友好度が上昇したため、戒厳令の布告を出す。 5月、補佐官より「プレジデンテ、あなたに対する住民の不満は、とどまるところを知りませんぞ」 5月、伐採所が反逆者によって破壊される |
伐採所 | 戒厳令 | 0 | 0 | 2 |
x:fmla="=I25+H26-I26">1 |
7 | ||
1975年 | 3 | 0 | 2 |
x:fmla="=I26+H27-I27">0 |
7 | |||||
1976年 | 住居×6 | 0 | 1 | 3 |
x:fmla="=I27+H28-I28">0 |
9 | ||||
1977年 | 1月、反逆者が農場に攻撃開始 2月、反逆者撃退 |
0 | 0 | 2 |
x:fmla="=I28+H29-I29">1 |
11 | ||||
1978年 | 1月、兵士数が増えてきたので戒厳令解除 1月、選挙告示。結果予測は6対138。拒絶。 2月、補佐官より、クーデターが起きかねないとの報告。 |
葉巻工場 | 住居×7 | 戒厳令解除 | 0 | 0 | 0 |
x:fmla="=I29+H30-I30">2 |
11 | |
1979年 | 宝飾品工場 | 住居×4 幼少の家 |
3 | 0 | 0 |
x:fmla="=I30+H31-I31">0 |
12 | |||
1980年 | 5月、クーデター発生。支持者7人対反逆者5人。 9月、反逆者2人を残して支持者は全滅。大幅に増員するとともに、戒厳令の布告を出す。 10月、増員到着。だが支持者・反逆者ともに増え、最終的に反逆者5人となる。残った金をすべて増員につぎ込み、様子を見る。 |
住居 | 戒厳令 | 0 | 1 | 1 |
x:fmla="=I31+H32-I32">0 |
6 | ||
1981年 | 3月、反逆者7人。恩赦の布告を出す。 4月、宮殿陥落。国外逃亡。 |
恩赦 |
x:fmla="=I32+H33-I33">1 |
クーデターの条件
なお、あとからクーデターを再現して、
支持者と反逆者をそれぞれ調べてみた。
二組の数字は敬意/幸福度である。
反逆:50/30、60/50、60/50、35/35
支持:65/55
敬意と幸福度はクーデター時の立場選択に何らかの関係がありそうだ。
あとは勇気、若さなども関係しているかもしれない。
ついでに、前回のプレイのセーブデータをロードして調べてみた。
60/55、45/25、60/55、55/55、60/50、60/55
・・そう変わらない気がする。おおざっぱに平均すると、
今回:54/44、前回:57/49
で、確かに前回の方が敬意・幸福度ともに上回っているのだが、
その差はわずかなものだ。
どちらかというと幸福度の方が差が大きいが。
調べてみると、Strategy
for the tyrannically impairedには
「指揮官が多いほどクーデターが起きやすい」と書いてある。
しかし、ここで取り上げたケースではそう変わらない。
やはり、教会と診療所は圧制においても必要なのだろうか?
給料も、移民を呼び込むためには必要だし、
結局民主的にやるのとあまり変わらない気がする。
ただ、電力の供給が始まれば、
住居や娯楽施設の質を大幅に高めることができるので、
その時点で圧制に切り替えるのもいいかもしれない。
要は、福祉と賃金を削り、浮いた分をクーデター対策、反逆者対策、
暴動対策と産業に注ぎ、高収益を目指すということだろう。
まあしかし、とりあえずは50年統治を目標とした方がいいかもしれない。