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ひっそりと再開。方針はまだない。

千田教授と行く松阪城 拡張を繰り返した城壁は息も絶え絶え

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松阪城跡に行ってきました。石垣がほとんど残っていて、雰囲気が良かったです。ここでも侵入者を撃退する枡形(ますがた)が多数造られています。拡張を重ねたため石垣の作り方が場所によって違うのも面白い点です。

高石垣

危険な石垣

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木が根を伸ばしているため、石垣の変形が進んでおり、危険な状態です(クローズアップ現代にも取り上げられた)。本格的に修理するには道路側にもスペースが必要なので大変ですが、やらなければならない工事なのだそうです。

大手筋前

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大手筋の前を通り過ぎます。ここも枡形になっていますね。

メンテナンス

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松阪城の高石垣は、きれいに積まれています。

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算木積みもきれいです。

この城は、常に大規模に修理しているそうです。

枡形

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ここから4連続の枡形になります。

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この算木積みは、内側に亀裂が入っていて危険な状態です。松阪市も大変だ…

本居宣長の館

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元々は街中に建っていたのですが、保存するためにここに移されたそうです。

ひたすら枡形

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ここでは正面に鏡石を使っていますね。

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ここも枡形。

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ここも枡形。

鏡石とは

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こられのような巨石で、城主の権威の象徴だったそうです。

本丸

本丸下段

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本丸上段へ続く階段があります。石段の石垣と奥の石垣がかみ合っているので、後付けではなさそうです。おそらく、

  • 本丸につながる別ルートが作られていた
  • 本丸上段は狭いので、本丸下段に御殿があり、本丸の御殿と接続されていたのではないか

とのことです。

本丸上段へ

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松阪城は拡張に拡張を重ねた城なので、中心部に進むにしたがって石垣の積み方が古くなります。ここの積み方は重ね積みと算木積みの間くらいで、切石はなく自然石を積んでいます。いわゆる穴太積みです。

穴太積みって?

ウィキペディアを見ると「穴太衆」という言葉がまず出てきます。

穴太衆(あのうしゅう)は、日本の近世初期にあたる織豊時代(安土桃山時代)に活躍した、石工の集団。主に寺院や城郭などの石垣施工を行った技術者集団である。

なるほど。そして彼らの積み方は?

穴太積(あのうづみ、穴太積み)は、野面積(野面積み)を指して昭和初期以降に用いられるようになった俗称であり、穴太衆が手がけた野面積の石垣のことを言う

しかし、野面積のことを穴太石垣と誤解されることもある。

穴太衆は石垣職人であり、したがって、実際は玉石積や切石積も行えた

要するに野面積みのことなんですね。関東にいたときは野面積みと呼んでいましたが、呼び方が異なるのは土地柄でしょうか。

石垣の積み方

他の石垣の積み方も確認しておきましょうか。

野面積み(のづらづみ)

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(三重県松阪城)

自然石をそのまま積み上げる方法である。加工せずに積み上げただけなので石の形に統一性がなく、石同士がかみ合っていない。

そのため隙間や出っ張りができ、敵に登られやすいという欠点があったが排水性に優れており頑丈である。

打込み接ぎ(うちこみはぎ)

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(岡山県津山城)

表面に出る石の角や面をたたき、平たくし石同士の接合面に隙間を減らして積み上げる方法である。

関ヶ原の戦い以後、この手法が盛んに用いられた。野面積みより高く、急な勾配が可能になる。

切込み接ぎ(きりこみはぎ)

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(東京都江戸城)

方形に整形した石材を密着させ、積み上げる方法である。

慶長5年(1600年)以降、隅石の加工から徐々に平石にまでわたるようになり、江戸時代初期(元和期)以降に多用されるようになった。

石材同士が密着しているので排水できないため排水口が設けられる。

本丸上段の様子

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広い空間になっています。周囲が一段高くなっているのは、当時は櫓が建っていた場所だからです。上の本丸上段に表御殿、下の本丸下段が奥御殿があったのではないかと言われています。

天守台

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これは本当に建っているのではなくて、予想図です。付櫓が建っていたと言われています。広さは田丸城の天守台とほぼ同じ大きさです。

他の参加者の記事

歴史イベントを開催されているカツイエ.com

katsuie.com

の北村さんもこのツアーに参加し、松阪城のことを記事にされています。また違った視点からの内容となっています。よろしければどうぞ。

katsuie.com

おわりに

松阪城、いいですね。殺気をビシバシと感じます。

三重県では、津城や桑名城のようにほとんど跡が残っていない城に比べると、伊賀上野城のような当時の面影を強く残している城はないのかと思っていましたが、松阪城は縄張りがほとんど残っていて良いです。伊賀上野城のように混んでいませんし、休日にぶらりと訪れてみるのはいかがでしょう。