和歌山城に行ってきました。
和歌山城は1585年に今の和歌山市に秀吉の義弟、羽柴秀長が築城しました(その後、1610年頃に浅野家が改築しています)。
羽柴秀長
コーエーの描いたこの顔(右)でどんな武将を想像しますか?(左はたぶん秀吉)
羽柴秀長(後の豊臣秀長)は秀吉の義弟で、戦場で武功をあげる武将というよりも、民を大切にする内政を行う人物だったと言われています。1591年に秀長が病気で亡くなった後、秀吉を止める者がいなくなり悪くなっていった印象があります。秀吉は、翌年の1592年には欲を出して朝鮮に出兵し、敗退し、秀吉政権がぐらつき始めます。
築城時期
徳川家康
築城の前年(1584年)には秀吉 vs 家康の小牧・長久手の戦いが起き、秀吉は戦術的に敗退するものの結果的には家康に臣従の礼をとらせることに成功します。これで本能寺の変(1582年)以来曖昧だった織田家の家督争いが完全に決着し、実質的に秀吉が信長の後継者となり織田勢力の長となります。
翌年1585年、織田勢力を従える事に成功した秀吉はすぐに次の行動に出ます。他の大名たちを次々と屈服させていく、信長が目指した天下統一の遂行です。その第一目標が紀州、今の和歌山県でした。紀州はあっという間に制圧され、秀吉の義弟である秀長が統治することになります。同年、秀長は和歌山城の築城を開始します。
では、和歌山城に入っていきましょう。
和歌山城駐車場。なんと入城する。 pic.twitter.com/cLy6YkTC9P
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
なんと、枡形を車で入っていきます…この発想はないわー
#和歌山 城天守閣展望。海も山もある。 pic.twitter.com/lfVsCTR26A
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
大阪にも近いし、住みやすそうな土地ですね。
#和歌山 城模型。門は5つもあるし枡形は無いしで防衛目的ではなさそう。権威誇示かな? pic.twitter.com/eMiqRhPECT
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
あとで地図をよく見ると枡形(城門を入るとクランク状に経路が折れ曲がる構造。寄せ手の右利きの鉄砲兵が半身を隠せないようになっています)はありました。普請は藤堂高虎(築城の名手)。
外国人観光客がみんな、こんなのを持っている。扇子よりいいかも。#和歌山 城。 pic.twitter.com/Ul6oXb5oLy
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USBで充電できるなら私も買おうかな…と思って探したらありました:
曲輪が2重。外側は武家屋敷かな。#和歌山 城。 pic.twitter.com/MT9Ay5UlzC
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
後でよく見たら3重の曲輪でした。川沿いには造らず、2つの川の水を引いて水堀にしているのは、防衛よりも統治を重視したということでしょうか。
#和歌山 公園の写生大会の教育長賞受賞作品。うま! pic.twitter.com/36qTn93H9p
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
中学2年生の作品ですよ。素晴らしい。
#和歌山 公園の写生大会の準特選受賞作品。年長さん。うま! pic.twitter.com/UQGHLbdPlr
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力強いですね!
野面積みだが算木はしっかり。ちなみに1585年に羽柴秀長が築城。#和歌山 城。 pic.twitter.com/HigFo9XrLz
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打ち込みハギに移行するのは1600年の関ヶ原以降です。
ここだけ石垣が打ち込みハギ。拡張したのかな?#和歌山 城。 pic.twitter.com/ny3zGKS3JY
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1610年頃の浅野家の改築部分でしょうか。
これは素晴らしい保存努力。#和歌山 城。 pic.twitter.com/aWKIDJqVu9
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木造建築物を保存するのってお金もかかるし大変だと思うんですよね。普通壊しますよね。和歌山市の粋を感じます。
「紅葉渓庭園」こういう茶会が開けそうな場所、秀吉が喜びそうだ…#和歌山 城 pic.twitter.com/GYu924GJl9
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
秀吉は城の中に庭園を作り、そこで花見や茶会をして遊ぶのが好きでした。秀長にしてみれば接待施設、でしょうかね。
西の丸、二の丸の中の御殿が完璧に再現されている。これはすごい。いったい何の史料をもとにしたのか?建設監修は #平井聖。#和歌山 城。 pic.twitter.com/CU69IVbYiG
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
別の城の3D復元を試みたことがあったのですが、城壁内部の建築物の記録がまったくなかったために全然わからず大変困りました。
屋敷を建ててみました。実際はどうなっていたんでしょうかね…お知恵を募集!(本当に) #history pic.twitter.com/XnVK7Lfw0e
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年3月3日
和歌山城の図面には御殿の形状も詳細に記録されています。
御殿の史料が残ってるんですね。#和歌山 城。 pic.twitter.com/rK2w5rqsmR
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
なお、「ストリートミュージアム」というスマホアプリがあり、和歌山城の3Dモデルを鳥瞰表示およびVR表示(要ゴーグル)することができます。このアプリでは他にも
- 江戸城(焼けちゃったのに!)
- 肥前名護屋城(史跡しか残ってないのに!)
- 安土城(信長が設計した幻の城!)
なども見ることができます。
1610年ごろ浅野家が修築したそうです。刻印の目的は分かっていないが、所有者明記、品質チェック、呪術的使用など諸説あり。#和歌山 城。 pic.twitter.com/yxhuE0VeCo
— 植田達郎@ニーア (@weed_7777) 2018年8月1日
なんだかルーン文字みたいですね。
ということで、加藤清正の熊本城のような殺気ムンムンの城ではなく、秀長の温厚な性格を現したような城でした。土地柄ものどかそうだし。私はどちらかというと前者が好きなのですが、天守閣が(鉄筋ですが)それらしく残っていたり、写生大会の作品を見ることができたり、VRアプリが楽しそうだったりと、面白かったです。
和歌山市にお立ち寄りの際は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。