- 父性母性の高い人はドラマへ(私にはわかりません)
- 父性母性の低い人は物語へ
- 好奇心の高い人はオリジナリティーへ(独自の世界観、とか)
- 知性の高い人はリアリティーへ
- 知性の低い人(例えば弱っているときの私)はエンターテイメントへ
大変個人的な意見なので好き勝手に書かせていただきます。
むかしむかし、ダンジョンズ&ドラゴンズというTRPGがありました。パーティーは洞窟に潜り、荒野を駆け、戦に赴き、国を治め、最後は神になるというゲームでした。プレイヤーキャラクターは英雄でした。
むかしむかし、ルーンクエストというTRPGがありました。戦うときは最初のラウンドは必ず30kgの荷物を降ろすので終了、普通の敵と斬り合っていても普通に腕が切り落とされ、馬の後ろ足に蹴られれば即死、そして、いくら経験を積もうとこれらは変わりませんでした。プレイヤーキャラクターは人でした。
舞台にも大きく2種類ありました。
洞窟、古代遺跡、塔、神殿、浮遊島といったファンタジー感溢れる舞台。
その一方で、ただの村の商店を一晩守る、街の揉め事を解決する、利益関係を使って説得・交渉するといった現実感溢れる舞台。
つまり、物語と、リアリティー。
何故こんな話をするかというと、#リゼロ を見終わったところなのですが、これはファンタジーなドラマだなと思いました。そして、#シュタインズゲート は現代秋葉原で同じタイムリープものをやってのけた。こちらはSFですがリアリティー溢れる物語。
私はTRPGを中学から大学院までやりました(上の画面は最終期のもの)。ずっとゲームマスターとして物語を作りました。その経験から言うと、ファンタジーで物語を作るのは簡単です。逆にシティ・アドベンチャーで物語を作るのは大変です。平凡なフリーランサー数人が街でできる物語を絞り出すのは、とても大変でした。
リゼロ には一国の元首の館の周りに街がなく、近くに村が一つあり、その村人を…するシーンが出てきます。似たように、ダンジョンズ&ドラゴンズには町や村の地図があります。それが、ルーンクエストにはありません。村、町、小都市、大都市のうち、大都市のみが地図に記され、あとは無数にあるだけです(上図)。しかし、それがリアリティーでしょう。
何が言いたいかと言うと、リアリティーを重視すればするほど、物語やドラマを作るのは難しくなるのです。凡夫な一般人ができることなど、限られているのですから。物語やドラマを作るには、ファンタジーとSFの方が、はっきり言ってラクです。それは悪いことではありません。良いドラマは良いのですから。ただし、それは受け手がドラマを望んでいる場合です。
そういう意味では、#シュタインズゲート は強いリアリティを実現しています。ドラマではなく物語ですが、リアリティー重視の受け手には強く響くのです(例えば私)。
例えばニーアオートマタはSFですが、多くの人が評価するのは重層的な人間ドラマです。この「層」もポイントで、浅いほど作りやすく、深いほど作りにくい。そして、深いほどリアリティーが出る。リアリティーを望んでいる受け手には刺さるでしょう(例えば私とか。あと独自な世界観が私の好奇心に刺さりました)。
そういえばファンタジーもSFも使わずに重層的な人間物語を作った「街」は奇跡と言って良いゲームでした。まったく売れませんでしたけど。リアリティーに振りすぎたんでしょうね。もちろん私は大好きでした。え、知らない?今すぐウィキペディアで調べて下さい。
人間性もそうです。愛や正義や友情を語るのは物語としては大切ですが、リアリティーは薄くなります。逆に権力欲・金銭欲・名誉欲やそれに対する復讐、トラウマや偏執狂、イデオロギーなどが登場人物を駆動すると、リアリティーは濃くなります。まあ、そこから愛や友情を語るようにつなげることができると物語やドラマになるわけですが。
なんでこんな話をしたかというと、その人がどんなアニメを好きか、がその人のパーソナリティーや価値観、人間観、人間性を語っている気がするのです。#リゼロ を勧める人、#リゼロ を勧めない人。とにかく人間的ドラマ性が強烈で、周りを見ているとかなり人を選ぶ作品のようです。そこで受け入れを広くするために作画にかなりお金を使っていますね?声優も良いそうです。
プロデューサーと呼ばれる人たちは、そこまで考えてプロダクトを作っているのかもしれません。また、友人がどんなアニメが好きか聞くことで、その人の人となりをあるていど推測できそうです。
などと怪しいことを考えていたら外が明るくなってきた…寝ます。
んが、ヴァイオレット・エヴァーガーデン?そりゃリアリティーのあるドラマ寄りの物語です。世界監修に鈴木貴昭が入ってますしね。