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レポート:カオスを受け止める(複雑系の物理)

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 このレポートは2回生の11月頃書いたものだと思います。全5回1単位の集中講義がありまして、その単位認定のためのレポートでした。わりとサクッと、3時間ぐらいで書けたように記憶しています。

 さてさて内容についてですが、、んー、あやしいですね。とにかくあやしい。これが一番あやしいんじゃないかな。特に「ロウソクを何本も何本も、、」の辺りが、、と、自分がいうのも変ですけどね。実は、一連の随筆風レポートを書くはしりとなったのが、このレポートです。このレポートの前には一度もそういうことをやったことはありません。というわけで、これが記念すべき第一号なのです、、、やれやれ。

 とはいっても、僕はこのエッセイはかなり気に入ってます。他のレポートがわりと自分の頭の中で整理のついたことを書いているのに対して、このレポートはまだまだ未開拓の領域に挑戦しています。そういうところが好きですね。

本文

 自分がはじめて「カオス」なる言葉を聞いたのは、もう随分昔のことです。中学三年の時にNHK教育テレビで見たのがはじめてです。それ以来あちこちでカオスに関することを耳にし、次第に興味が深まっていきました。倫理のレポートで「アメリカ人は日本人よりカオティックだ」と書いたこともあり、思い出すと笑ってしまいます。

 本格的に興味を持つようになったのは高二の終わりぐらいからです。きっかけは「鏡の伝説」という本でした。この本を読んで、随分興奮したのを思い出します。それまでもやもやっとしていたものがはっきりと像を結び、自分の「物の見方」が大きく拡張されたような感じでした。この本を読んで以来、「カオス」は自分の最も好きな言葉の一つとなりました。

 

 最近、物足りなくなってきました。カオスが、です。

 カオスについてのいろいろな話を(先日の講義でも)聞いて、この世界が秩序と混沌の調和の上に成り立っていることはわかりました。フィードバックループのあるところにはカオスが生じ、そしてそのようなことはこの世の中どこにでもあることもわかりました(「わかりました」といっても「話としてわかった」というだけですが)。本当にどこにでもカオスはあります。流れの中に、相と相の境目に、情報渦巻くニューロンの中に、カオスはあります。そればかりではないですね。滴る雫の中に、空を駆ける雲の中に、路上を這うアリ達の中に、そして想いの渦巻く社会の中に、、、「カオスでないものはない」と言っても差し支えないような気さえします。

 しかし、です。今一歩奥へ踏み込めないでいるような気がするのです。「ほら見てごらん、この現象もこう見てやるとカオスだろう?おもしろいね、、」確かに面白いです。面白いのですが、何か足りない気がするのです。カオスは出発点であって、それ自身で完結すべきものではない!、、、ような気がします。単なる勉強不足でしょうか。

 

 最近、ふと思い出した話があります。闇夜の中、ロウソクを何本も何本もつけて闇を遠ざけようとする子供の話です。闇にも意味があることを知らず、懸命にその子供は明りを求めます。

 いま、この話の「闇」と「明り」を、それぞれ「カオス」と「秩序」に置き換えることは出来ないでしょうか。カオスは物理の闇です。一部分を明りで照らしてみることは出来るけれども、全てを白日の下にさらすことはできません。科学の発展は、この世の秩序を見つけていく行程でした。我々人類にとって「この世が秩序に従わないことがある」なんて事は許せない、とうてい認めがたいことでした。そして人類は明りをともし続け、そして最近、文明に疲弊し始めています。確かに明りがなければ人は生きてはいけません。しかし同時に人は闇を受け入れ、寝ることによって脳と体を闇のプールに浸さなければならないのです。

 「寝る」とは、どういうことでしょう?自分はまだまだわかりませんが、もっと自分の感情に素直になる、ということが何か「寝る」ということに近い何かを持っているような気がしています。