恥ずかしい話だが、物語を半分くらいまで読んで「何か変だな」と気づくことがある。そういうときは、正直なところ、悲しい気持ちになる(「何度も楽しめて良いではないか」と言う人もいる)・・・おっと、こんな話をするつもりではなかった。話題は「忘れっぽさ」である。
忘れっぽい人間にとって<知識>のメンテナンスは、「車のエンジンをたまに回さないと動かなくなってしまう」のと同じくらい重要な問題である。
ここで気をつけるべき事は、「車の台数は少ない方がいい」ということだ。エンジンを回す頻度が増えるからだ。わかるよね。
なぜこんなことをわざわざ言うかというと、「いろいろな車に乗りたい」と思うのも人の性(さが)だからだ。特に新しい高性能な車は魅力的だ。見ているだけで、うっとりとしてしまう(知らないけど)。
それでも車なら値段があるので、心のブレーキがかかる。かからない人もたまにいるが、そういう人は破産する。ちなみに、これは冗談ではない。
しかし<知識>については、値段が安価なので、心のブレーキがかからない。さらに、<知識>を手に入れるときの時間コストはけっこう大きいが、これが見えにくい。さらに、たとえ膨大な時間をドブに捨てても、人は破産しない。
つまり何が言いたいかというと、「<知識>は車よりやっかい」なのである。
私の業種の世界では、ときどき、資格をやたらにたくさん持っている人に出会う。「こういう人はダメだ」というのが、今の私のボスの言である。長続きしていないからだ。資格が<知識>に読み替えられることは、ここに来る皆さんにとっては自明であろう。
論を進めたい。新しい<知識>に手を出すことが危険なことはわかった。しかし古くなった車は買い換えなければならないし、新しいものに何も手を出さないのは人生として味気ないものだ。
しかし・・・もうすぐ電車を降りる。続きはまた今度。